オンライン写真展『シャドウランド』

シャドウランド

世界報道写真賞、プラハ写真賞など数々受賞した経験をもち、国際的な評価を得ているオランダのフォトジャーナリスト、ロバート・ノース氏。

チェルノブイリ原発事故の現場をたずねてきた彼が、福島で何を感じたのか?
目をそむけてはいけない福島の現実を見つめ直す。

このページでは、2012年2月に東京・原宿で開催したロバート・ノース写真展『シャドウランド』の作品の一部をご紹介しています。

写真に加えて、インタビューや動画、撮影にご協力いただいた皆様からの原発事故前の福島の写真もご覧いただけます。

写真展『シャドウランド』について
About Shadowlands

写真に映し出されているのは、一見するとよくある日本の原風景です。
しかし見ているうちに「何かが変だ」ということに気づきます。そうです、人がいないのです。
―― ロバート・ノース、アントワネット・デ・ヨング

東京電力福島第一原発事故が引き起こした未曾有の被害。
昨年末に日本政府が「事故収束」を宣言し、テレビや新聞から福島の現実を伝える報道が減ってきました。

事故直後、そのイメージに驚愕した私たちも、今では災害報道に慣れ、一周年を前に放射能被害が続く現実をも忘れようとしていないでしょうか?

私たちは、チェルノブイリも撮影した著名な外国人写真家ロバート・ノース氏が福島をどう感じるのか、その作品を日本人の目で見直すことで、福島の厳しい現実をもう一度感じることができるのではないかという思いで、写真展を開催することにしました。

決して収束していない放射能被害の現実から目をそむけないこと、そこで立ち上がる人たちの声を聞き続けること、それが福島の復興に必要です。

この写真展は、広く原子力事故の被害を伝えるため、インドや南アフリカなど世界6カ所で開催を予定しています。

2012年2月
国際環境NGO グリーンピース・ジャパン
事務局長 佐藤潤一

ロバート・ノースとアントワネット・デ・ヨングについて
- Robert Knoth & Antoinette de Jong -


アントワネット・デ・ヨング

ロバート・ノース

ロバート・ノースとアントワネット・デ・ヨングは、東京電力福島第一原子力発電所で起きたメルトダウン(炉心溶融)による被害状況を自らの目で確認するため、2011年秋にグリーンピースとともに福島を訪れました。

放射線は福島の土地、人々、動物のすべてにその影(シャドウ)を落としています。
手入れされていた農地は荒れ、子供の遊び場やガソリンスタンドは放置されて雑草が生え始めています。人々の生活の場とも自然のままとも、どちらともいえないような風景が広がっています。

それぞれの作品は、そのような風景の中で彼らの自に映った奇妙な"美しさ"をとらえています。

作者の口バート・ノースとアントワネット・デ・ヨンクは次のように語っています。

「今回の写真展は、文化と伝統の喪失、地域社会と暮らしの喪失、人々の健康そして生命そのものの喪失を表現したものです。

何百年にもわたって人々が営みを続けてきた村々は今では人影もありません。
住民は、自然との調和をとりながら風景の中にとけこんできたのでしょう。
家の建て方、庭の作り、農家の作物の育て方や家畜の飼い方を見れば、その暮らしぶりがうかがえます。

しかしそういったすべてのものが数カ月で壊れ始めていました。福島第一原発で起きた事故は、周辺の広い地域で住民と環境に深刻な影響を与えています。

そして今、人間に代わって自然が静かに繁茂しはじめています。
早朝、サルが村の外れでエサを探し、イノシシが田畑を歩き回り、息をのむような美しい風景の上をツルが悠然と飛んでいます。

そこにあるのは静寂です。
道路を草が這い、庭の雑草は伸び放題で、扉や窓の塗料ははげ始めています。
そうした村々を歩くと、圧倒的な喪失感に襲われるのです」
―― ロバート・ノース、アントワネット・デ・ヨング、2012年1月アムステルダムにて

浪江町の山あい、美しい緑の谷間にある津島地区の立入禁止区域へとカーブを描いて続く114号線の信号と街灯。
車も人通りもないが、信号機だけが点滅を続けている。
福島第一原発事故後3日間、放射能は浪江町に風で運ばれ、町民は高濃度の放射線を浴びた。
警告を受けた者は誰一人としていなかった。
現在、多くの住民が二本松市で仮住まいをしている。
帰れるかどうかはいまだに分からない。

Tsushima map

放射線量は通常の52~238倍。福島原発事故前の値は1時間当たり0.08マイクロシーベルト。

大河原伸、多津子夫婦は、6代にわたって受け継がれた田村市船引町の土地で、26年間農業を続けてきた。
地震と津波から4日後の3月15日、チェルノブイリ原発事故以降自宅に置いてあった放射線検出器が鳴り出して止まらなくなった。
「事故前から原発に反対する気持ちがありながら、私は運動を十分にやってきませんでした。
このような事故が起きて、今やらなかったらいつやるんだ、私たちがやらなければ誰がやるのかと思い始めました。
どんな小さなことでもできることはすべてやっていこうと決めたんです」と多津子さんは言う。

Iitate village

Funehiki map

事故から10日たった3月21日、佐藤さんは、生まれ故郷の飯舘村が置かれているありのままの状況を外部に伝えるため、政府や国会議員にツイッターで情報を発信し始めた。 「私は危険を感じたので、村から子どもや若い人を避難させようと奔走したが、放射線専門家、国、県、行政の立ち位置や、世代間での考え方の違いが大きく、すぐに避難にはならなかった。その間私たちは無駄に被曝をさせられてしまったのが悔しい」と言う。最終的には全員避難となった。

Iitate village

Iitate map

3人の子どもを持つ鈴木さんは、13歳の長女と5歳の次女を夏休みのあいだ北海道の親戚に預けた。
現在も福島市でも放射線量が高いと言われている渡利地区に住む。
「以前からオーガニックの食べ物を買っていた。
今は放射線に汚染されていないものを買いたいのだが、その情報が必ずしも包装に書かれているとは限らない」と鈴木さんは言う。
夫婦は仕事があり、そして長男は今年高校を卒業するため、次女とともに福島市に残っているが、長女は8月から北海道の親戚に預けられている。

Mrs Suzuki and her family

Watari map

丹治先生は、145人の園児を放射線のないところに連れて行きたいと思いながらも、南福島で保育園の運営継続に最善を尽くしている。
福島市の多くの地域と同様に、この保育園も汚染がひどく、地域で除染の取り組みが行われている。
先日、役所から、野外での安全な遊び方を子どもに教えるポスターが保育園に送られてきた。
雨どいの水や草露には触らないようにという注意書きに、楽しそうな子どもたちをポスターに使い、放射性物質が体内に入らないようなほこりの払い方が説明されている。

Fukushima Government radiation pamphlet

decontaminating school playground

Fukushima map

池田サツキさんの家族は9代にわたって飯舘村に住んでいた。福島市に避難する以前は息子たちとともに、東京から来る人を受け入れるホームステイの活動と農業を営んでいた。
避難所ではなかなか寝付けず、村や仕事を失ったこと、そして地元の食材を使って料理をすることができなくなったことに落胆していた。
飯舘の住民はいくつかの町へ散らばっていったが、 2カ月に1度集まり、自分たちの抱えている問題や、お祭りなど、村の生活で重要な役割を果たしている行事をどうするかについて話し合っている。

Iitoi Village

Iitoi

福島第一原発の事故以来、飯舘村の飯樋小学校に人影はない。
美しい緑の山々に囲まれた飯舘村は、原発から40 ㎞以上離れ、20㎞の立入禁止区域外にあるにもかかわらず 危険なほど汚染されている。
飯舘村と近隣の村々の住民は大半が避難し、残っているのは高齢者と仕事をあきらめきれない人だけである。

Iitoi

放射線量は通常の38~160倍。福島原発事故前の値は1時間当たり0.08マイクロシーベルト。

住民が避難したため、車も人も通らない。町には、高齢者または、事情があり仕事や家を置き去りにできないわずかの人たちだけが残っている。

Iitoi

放射線量は通常の22倍。福島原発事故前の値は1時間当たり0.08マイクロシーベルト。

浪江町津島地区では森が秋の訪れとともに紅葉している。
山あいの、美しい緑の谷間にたたずむ津島は、福島第一原発周囲の立入禁止区域の近くにある。
立入禁止区域外にあるにもかかわらず高い汚染が測定された。
事故で発生した放射性物質が、3日のあいだ風に運ばれてきていたためである。
町民は高濃度の放射線を浴びた。

Tsushima map

放射線量は通常の28~38倍。福島原発事故前の値は1時間当たり0.08マイクロシーベルト。

道路脇には、車が置き去りになっている。

Tsushima map

放射線量は通常の110倍。
福島原発事故前の値は1時間当たり0.08マイクロシーベルト。

かつては整然と剪定されていたはずの庭木も、 伸びた木々や緑におおわれている。

Tsushima map

放射線量は通常の125倍。
福島原発事故前の値は1時間当たり0.08マイクロシーベルト。

一見のどかに見えるこの田園風景も、汚染がひどいため足を踏み入れることは出来ない。
津島の他の場所と同様、住民が戻って来られるかどうか分からないほど環境が汚染されている。

Tsushima map

放射線量は通常の60倍。
福島原発事故前の値は1時間当たり0.08マイクロシーベルト。

この農家は、福島第一原発から20kmの立入禁止区域の境界線に位置し、緑豊かな起伏のある山々を蛇行する国道399 号線沿いにある。
原発事故後に国道沿いの放射線量が増え、住民が福島市や二本松市へと避難したために家屋や農地が取り残されることとなった。

Tsushima map

放射線量は通常の100~160倍。
福島原発事故前の値は1時間当たり0.08マイクロシーベルト。

立入禁止区域近くにある作業場。
人影はなく、いたるところで破損がすすんでいる。
「安全第一」の文字が一際目立つ。

Tsushima map

放射線量は通常の70倍。
福島原発事故前の値は1時間当たり0.08マイクロシーベルト。

Extra photographs kindly provided with permission from the subject
『福島第一原発から漏れた放射能の広がり』(改訂版、2011年9月11日)、早川由紀夫(群馬大学)