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東京電力福島第一原発事故からまもなく7年。被害はいまも、続いています。

被害に遭われた住民の方々が事故当時いったいどんな困難にさらされていたのか、以降これまでのご苦労を、浪江町から避難中の堀川さんご夫妻にお話しいただきました。

 

町の8割が「帰還困難区域」である浪江町では、この春、避難指示解除をめざしての除染が始まるそうです。

浪江町は2035年に全域の「復興」を計画しています。

 

帰還を余儀なくされる被害者の方々も、離れた場所で避難生活を続けておられる被害者の方々も、誰ひとり、復興を願わない人などいません。

誰もが、原発事故の被害にあった地域とそこに暮らしていた人々の暮らし、自然環境が元通りになることを、心から願っています。

しかし、甚大な被害をもたらしながら、7年もの間、その被害の責任の所在が明確にされないまま進められている帰還政策が、果たして真の「復興」といえるのでしょうか。

堀川さんご夫妻のインタビュー(1):避難指示が解除された"町"で起きていること

 

福島県浪江町、2011年4月撮影(堀川さん提供)

 

いままで自分の生きてきたことが全部否定された

事故直後、風上方向にあたる秋田県への避難を予定していた堀川さんご夫妻。

地震の際に負った妻の貴子さんの怪我の具合が思わしくなく、結局、貴子さんの親族が住む関東地方への避難をきめました。

堀川文夫さん(以下文夫さん)「あまりにも腰が痛いっていうから、骨折かなにかじゃないかって。よその土地に行って入院なんてことになったらって二人で話して、(貴子さんの)実家に行って。老人が静かに暮らしてる家に、犬猫もいっしょにあがりこんで、2ヶ月」

堀川貴子さん(以下貴子さん)「3月13日に着いたんですけど、それから一週間ぐらいしたら『あんたたちいつ浪江に帰るの』って。無知なんでね」

文夫さん「被災者に住居を紹介してくれるマッチングサイトを知人が教えてくれて。犬猫いっしょに住める家を提供してくださる家のうち、いちばん長い期間借りられたのが静岡でした。10ヶ月」

貴子さん「あとは3ヶ月とかだったんだよね」

文夫さん「そこは空き家だったんです。この震災があって、家を片づけたり掃除したり、私らのために家電、洗濯機、冷蔵庫・・・」

貴子さん「手ぶらですから、何もないから」

文夫さん「食器から寝具から全部用意してくださった」

 

ところが入居してまもなく、堀川さんご夫妻にはまったく心あたりのないご近所トラブルに巻き込まれることに。

代々浪江町で暮らし、地域の子どもたちを教える学習塾の先生として信頼を得てきた堀川さんにとって、思いもよらない事態でした。

文夫さん「近所のうちの一軒の人が、私らが犯人だと決めつけたんです」

グリーンピース「なんでそうなっちゃうんですか」

文夫さん・貴子さん「他所者だから」

文夫さん「働いてない」

貴子さん「ちゃんと挨拶に行ったんですよ。こういう理由でお借りします、よろしくって」

文夫さん「昼間からうちにいる。犬散歩するだけでダラダラしてる、みたいに感じてたんでしょう。それでその方が大家さんに苦情を。

40年近く教育者として生きてきた。それが、他所の土地に来るとどこの馬の骨ともわからないやつになっちゃうんだなあって思えて、いままで自分の生きてきたことが全部否定されたように感じました。それで大家さんともぎくしゃくしてしまった」

震災前、浪江町の堀川さんの学習塾で生徒の保護者が撮影した授業風景(堀川さん提供) 
 

実績がないから融資できない

この出来事が引き金になり、堀川さんご夫妻は心のバランスを崩してしまいました。

文夫さん「私も引きこもりになりました。(貴子さんは)うつの症状が進んで、掃除しない、炊事もしない、ただ黙ってぼーっと。でも洗濯だけはするんです。不思議ですね、着てるものまで脱がせて洗濯しようとするんです」

貴子さんの病気を契機に、文夫さんは新たに自宅を購入、塾の再開を決意。

文夫さん「借りてる家で、犬や猫がガリガリやると『やっちゃダメ』って怒るでしょう。浪江にいたときはやらせ放題だったのに。そういう自分が嫌で、どんどんうつが進行していった。

元の生活になるべく近い状態にすることが進行をとめることになるんじゃないかと思って、だから家買おう、仕事も再開しよう。共倒れになったら大変だって。そうすると私自身の心の負担もだんだん軽くなっていって、仕事をしていると忘れられるし」

 

しかし金融機関では、実績がないことを理由に、思うような融資に応じてもらえませんでした。

貴子さん「浪江での実績は関係ないんです」

文夫さん「東日本大震災復興特別貸付のパンフレットに、避難地で事業再開しようとする人、家を求めようとする人に対する融資を、いろんな例が書いてあるんですよ。この通りだって思って行ったら、貸してくれるお金が200万。

ちょっと待って、2000万かかるんだけど。200万じゃ何もできないよって。でもそれ以上は実績がないのでできませんって」

このことがテレビ番組でとりあげられ、被害者への融資の条件が見直されることになり、結果的に堀川さんは別の金融機関から20年ローンで資金を借りることができました。

貴子さん「発信するって大事だなってそのときすごく思った。もう忘れかけてる人が大部分の中で、発信し続けようっていうのがこっちに来てからの私たちの生き方になったね」

 震災前、浪江町の川で愛犬と釣りをする堀川さん(堀川さん提供)
 

先生、俺、震災がなかったら経験できなかったこといっぱい経験した

震災の年の12月、いわきで再会した浪江町の教え子の言葉も、ご夫妻の背中を押してくれました。

文夫さん「『先生、俺、震災がなかったら経験できなかったこといっぱい経験した。出会わなかった人といっぱい会った、これで成長したと思う。震災悪いことだけじゃないですよ』って。

愕然としたんです。

すごいな子どもって。あの年の4月からもう学校に行かなきゃなんなかったんだ、転校もしなきゃなんなかった、そっか、大変だったんだなあ。俺、何やってたんだろうって、その子から教えられた。

それがきっかけで、がんばらなきゃなんねって、思うようになったんですね」

 

静岡で再開した塾では、いま17名を教えているそうです。

事故直前、浪江町の塾に通っていた生徒は、70名弱。

貴子さん「60すぎて貯金を切り崩す生活です。浪江にいたときはある程度将来見えるじゃないですか」

文夫さん「生徒が大きくなって子どもが生まれて小学生に上がったら、『先生そろそろ入れて』っていわれてたんです。だから5年10年くらいは70名くらいでいけるかなって。20年かけて築き上げて来た、そんな風な青写真が全部なくなって」

貴子さん「貯金崩してでも、この生き方を通すのは、ここに来た意味は、伝え続けることだよって。

だから先のことは、あんまり考えるの、やめようって」

堀川さんご夫妻にお伺いした貴重な体験談の続きは、後日改めて公開予定です。

 

原発事故被害者の人権をまもって

人々の生活も過去も未来も奪い去った、原発事故。

住宅支援をうちきり、復興の名のもとに帰還を強いる政策は、堀川さんご夫妻をはじめとする原発事故被害者に対する人権侵害です。

昨年10月、グリーンピースは避難されている原発事故被害当事者の方とともに国連人権理事会加盟各国に現状を訴えました。11月には、4か国から日本政府に対し状況改善の勧告が出されました(末尾参照)。

現在、この勧告を受け入れるよう政府に求める署名を実施中です。

あなたの声を、届けてください。

署名用紙はこちらから。

署名は外務省に提出します。

 

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堀川さんご夫妻のインタビュー(1):避難指示が解除された"町"で起きていること

  

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