沖縄・高江:命の森からの伝言

記事 - 2016-10-16
沖縄・那覇から車で県道70号線を北上するとうっそうとしたスダジイ、ウラジロガシなどの自然林が広がる。やんばるの森だ。雨あがりの森の中は緑の粒子が飛び交っているようだ。ヤンバルクイナやノグチゲラなど、天然記念物に指定されている貴重な動植物が生息する。

国はこの森を切り開いてオスプレイも離発着出来るヘリパッドの建設を強行している。東村高江は人口140人の小さな集落だ。その高江集落を取り囲むように米軍のヘリパッド(離発着帯)が計画されている。高江区民は2度反対決議をしたにもかかわらず、国は工事を強行した。住民はやむにやまれず、工事車両の入るゲートに座り込んだ。「静かなところで、都会の生活に疲れた人に癒しの場を提供したい」とカフェを営む住民は、「オスプレイの爆音や墜落の恐怖に襲われるのでは商売出来なくなる」と訴える。別の住民は「自然に優しい農業をしたい。安全な食べ物を作りたい」「大自然の中で子育てをしたい」と、この地で農業をはじめた。国は住民の当たり前の願いも聞こうとしない。

写真・文 森住卓 Photos by Takashi Morizumi 

安次嶺現達さん
2003年ロハスな暮らしを求めて沖縄中部から高江に移住した。翌年、都会の人の癒やしの場にとカフェ「山甕(やまがめ)」を森の中にオープンした。店舗の建設は全部自前。ゲンさんは図面も引かず、適当な寸法にのこをひき、打ち付ける。その作業は神業に見える。無駄がないのだ。自宅の前を流れる谷川の上に作った店舗からは、水のせせらぎと鳥や虫の声が聞こえる。そこに居るだけで至福を味わえる、まさに楽園だ。
しかし、2014年に完成したN4地区のヘリパッドでオスプレイの訓練が始まった。静かな森は一変した。ゲンさんの家はN4地区から最も近く、400メートルしか離れていない。ぽっかり空いた空を真っ黒なオスプレイの機体が覆い被さるように飛んでいく。突然、楽園を引き裂くオスプレイの騒音が襲う。夜中に訓練が始まると、子どもたちは飛び起き睡眠不足で学校に行けなくなった。ゲンさんは仕方なく子どもたちを隣村に避難させた。「ヘリパッドのせいでここに住めなくなる。悔しい。私が悪いのでないからここから逃げたくない。国は沖縄にばかり基地を押しつけている。許せない」と顔をゆがめた。
※カフェは現在休業中。
高江の自然
世界自然遺産の登録がすすむ沖縄本島北部の原生林はやんばるの森とよばれている。少なくとも約200万年前に大陸と切り離された沖縄島は独自の進化を遂げてきた。やんばるの森はイタジイなどの照葉樹林に覆われ、4,000種を超える動植物が生息し、「東洋のガラパゴス」と呼ばれている。ヤンバルクイナ、ヤンバルテナガコガネ、ノグチゲラ、未発見の種がわれわれの知らない間に絶滅しているかもしれない。人間のエゴでこの森を壊してはならない。



宮城秋乃さん
2007年、昆虫展を見て「私のやりたいことはこれだ」と、いきなりマレーシアに行き、昆虫観察を始めた。ニックネームは“アキノ隊員”。アキノ隊員とはTVのウルトラマンの科学捜査隊員の名前で専門分野は蝶だ。いまややんばるの蝶の研究では第一人者だ。高江周辺で沖縄固有種の蝶がたくさんいることを発見。豊かな自然があってこそだと実感している。工事が進んでいるN1ルートの周辺は、リュウキュウウラナミジャノメが多数生息する貴重な地域だ。「伐採が続けば生息地を失うことになる」と警告する。

やんばるの森に入ると彼女の目の輝きが違う。話が止まらない。「木はたくさんの生き物を養っている。芽が出て葉っぱを昆虫が食べ、実を鳥が食べ、枯れた木の中に虫が棲み、ノグチゲラがつついて穴を掘り、そこで子育てし、微生物は木を腐らせ、やがて栄養豊かな土になる。その土の上に鳥が糞をし、その中にあった種が生えてくる。1本の木は多様な生物を育てている」。

「ヘリパッド建設で木を切ってしまうのは一瞬のこと。でも、木は何十年何百年かけて無数の生き物の命を養っている。人間にはこの生き物を養う事は出来ない。やんばるの森を切るのは愚かなことです」——アキノ隊員は一本の枯れて朽ち果た、倒れそうな巨木を前に輪廻の世界を説いていく。彼女は「森の哲学者」あるいは「宗教家」のようだ。



高江の抵抗
押し合いへし合い。若く、屈強な機動隊員に70歳を超えた老婆がスクラムを組み対峙する。彼らの多くが、71年前県民の4人に一人が犠牲になった沖縄戦の体験者だ。「地獄の体験をして欲しくない。戦争に繋がる一切に反対する。戦わないために、いま闘う」という人々だ。人口わずか140人の集落に押し寄せた数百人の機動隊を前に一歩も引かず。沖縄の抵抗の仕方、それは非暴力だ。


伊佐 真次さん
沖縄の位牌であるトートーメーの制作者。先祖の霊を祭る位牌で、トートーメーを見れば先祖のルーツがわかり、家族や親戚が集うことが出来る。伊佐さんは「現世と来世をつなぐ文化の継承者」と言っていいかもしれない。沖縄市から父とともに移住して20年以上が過ぎた。沖縄ではトートーメーの制作者は伊佐さんひとりになってしまった。

伊佐工房から県道70号線を挟んですぐに、米軍北部訓練場がある。そこにはフェンスもなく訓練中の米兵が銃を担いで森の中からゴソゴソと出てきてびっくりしたこともある。ちょうどバーベキューをやっていたのでうまそうな臭いに誘われたのかも知れない。ここに来てから「こんな所に基地があるなんておかしい」とその異常さを感じるようになった。

伊佐さんはヘリパッド建設に反対する住民の会の代表の一人だ。2007年末、北部訓練場のゲート前に座り込んだ伊佐さんら住民が、国から訴えられた。理由は「工事の通行妨害」だった。反対運動をすれば国に訴えられるぞ、と脅す。住民を萎縮させる効果があった。伊佐さんは「こんな事を許せば全国で声が上げられなくなってしまう」と最高裁まで闘ったが、敗訴した。それでも、ちっともへこたれていない。伊佐さんの祖父も戦前の暗黒の時代、日本の侵略戦争に反対していたらしい。父の信三郞さんも戦後、祖国復帰運動や米軍基地反対の闘いに加わった。真次さんの体には祖父から受け継いだ血が流れている。





「高江に初めて行ったのは2007年5月でした。那覇から車で3時間。そこはやんばるの深い森に囲まれていました。緑のミストが降り注ぐ森の中はとても癒やされ、そこには「豊かな自然の中で暮らし、子育てをしたい」と願う人々がいました。ヘリパッド建設は自然を壊し、そこに住む人々の当たり前の願いを壊す事でした。国はそんな人々の願いさえ戦争準備のために踏みにじっていました。こんな事を許してはならないと思い、高江に通って9年が過ぎました。『人を傷つけてまで、贅沢はしたくない。便利にならなくていい』——高江の人々が発する言葉にはたくさんの気づきがあります」(森住卓)




森住卓
フォトジャーナリスト。1951年神奈川県生まれ。沖縄の米軍基地や世界の核汚染地の取材を続ける。福島、沖縄、世界の核実験場、イラクなどの講演・写真展を各地で行っている。
著書に『やんばるに生きる』、『やんばるからの伝言』、『沖縄戦最後の証言 おじいおばあが米軍基地建設に抵抗する理由』など多数。
 

 

 

 

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