今年の2月にクジラ肉裁判の公判がはじまり、すでに6ヶ月が経過。全7回の公判を経て、いよいよ9月6日に判決を迎えます。判決を前にこれまでの裁判を被告人の視点で総括してみました。
「窃盗」裁判から、「調査捕鯨」「国際人権」裁判へ
全7回の公判では、私たち被告人だけではなく、捕鯨船の管理会社である共同船舶の幹部、調査捕鯨船団の現役船員、さらには元船員である内部告発者、そして日本の刑事裁判では過去に数人もいないといわれる外国人の専門家が証人として出廷しました。
検察官が「必要ない」と言い続けたにもかかわらず、これらの重要な証人を採用してくれた青森地裁の裁判官。その裁判官の考えが少し変わったように感じたのは、国際的な関心が高まったころでしょうか。
初公判直前の今年1月、国連機関である国際人権理事会の作業部会がこの事件に関して、日本政府に「市民は公務員の不正が疑われる場合にはこれを調査し、疑惑を裏付ける証拠を明らかにする権利を有している」と勧告していたことがわかったのです。その作業部会が日本政府に送付した意見書の中身と、国連機関がこの事件をサポートしてくれていることに勇気づけられたことは言うまでもなく、裁判にも重要な証拠として提出しました。
これによって、「窃盗」事件の裁判から、「調査捕鯨の不正の有無」や「市民の権利」を問うような「国際人権」裁判へと発展していったのです。
調査捕鯨の矛盾が明らかに
裁判を傍聴された方々から、「被告人として証言台に立っているのは調査捕鯨船団の関係者の方だと錯覚した」というような感想をいただきました。クジラ肉の不明瞭な管理方法や変遷する船員らの証言と、検察官の短い反論を聞き比べれば、そのように思えるのでしょう。
極めつけは、宅配された23キロにも及ぶクジラ肉のDNAテストでした。DNAという科学的証拠で、船員のウソが決定的になったのです。しかも、青森県警がすでに行っていたDNAテストの証拠を検察官は6回目の公判が終了するまで明らかにせず、弁護団が独自にDNAテストをやりたいと申し出た後に、結果を公表するというひどいありさまでした。
これら全7回の公判内容を客観的かつ冷静に判断すれば、調査捕鯨における不正な鯨肉取り引きの有無はだれの目にも明らかだと思います。
知る権利はゆずれない
判決は9月6日の14時。私は判決の個人への影響より、市民の「知る権利」を軽視するような判決を許せないと思っています。市民が主役である“民主”主義。その市民が税金を納め、選挙を通して運営する国や自治体。それらの不正について私たちに「知る権利」がなければ、民主主義の基盤が揺らぎます。市民、ジャーナリスト、そしてNGOが不正を指摘する権利を認め、「知る権利」を守る、さらにはその権利の拡大をめざす。それが、私のクジラ肉裁判を通しての判決への期待です。「知る権利」は絶対にゆずれません。
風向きがさらに変わった
8月23日の東京新聞は、「鯨肉窃盗裁判で仰天事実――調査捕鯨 やはり横流し」と特報面で、裁判から判明した調査捕鯨の不正について詳しく報じました。
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そして8月25日、共同通信のWeb配信バージョンである47ニュースのコラムでは、イギリスのBBCジャーナリストと比べて、この事件について「体を張って不正を告発した二人の行為が、BBCの『シークレットポリスマン』と同じように公共の利益に資するものであったことは疑いがない」と言及しています。
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さらに8月30日の毎日新聞朝刊では、大きな紙面を割いてこの事件の経過と争点を整理。そしてその記事のタイトルは、「鯨肉窃盗:NGO調査活動、正当性どこまで 裁判、来月6日判決」。2年半前、私たちの逮捕と家宅捜索を夕刊トップで一方的に報じた新聞が、NGO調査活動の正当性が問われていることに注目してくれています。
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「石の上にも3年」と言いますが、裁判の場合も同じでしょうか。風向きがさらに変わってきました。
判決がどうであれ、「社会の利益」のためにどこまで市民、NGO、ジャーナリストが踏み込むことが許されるのか、そんな話題が判決の翌日に新聞紙上などで議論されることを期待しています。
これまでの裁判関連 資料など
鈴木徹と佐藤潤一の罪状認否スピーチ
鈴木徹と佐藤潤一の最終弁論
これまでの裁判経過をまとめた資料(PDF資料)