こんにちは、気候変動・エネルギー担当の高田です。

福島のお母さんたちと、俳優の山本太郎さんといっしょに、脱原発と自然エネルギーの今をたずねるドイツの旅の2日目です。

「未来の子どもたちのために、原子力のない世界をつくるために立ち上がります」

ダネンベルクで行われた放射性廃棄物の輸送に抗議する集会で、西片さんと大河原さんは、2万3000人の聴衆にむかって、それぞれの想いをスピーチ。

母として、農家としての想いが痛いほどに伝わる一言ひとことに、たくさんの拍手と応援の声が会場から沸き起こりました。

ハンブルクの南東に2時間のところにあるダネンベルクでは、過去30年にわたって毎年、このような集会が行われています。
ダネンベルクの近くにある小さな村ゴアレーベンに、列車で運ばれてくる放射性廃棄物の輸送と、ゴアレーベンの放射性廃棄物の貯蔵施設に抗議するためです。
この放射性廃棄物は、ドイツの原発で出た廃棄物を、フランスの再処理施設で処理したもの。

原発がある限り、放射能のごみも増え続けます。
何万年も何億年も毒を出し続ける放射性廃棄物の処理方法を確立した国は、まだ世界中のどこにもありません。

2022年までの脱原発を決めたドイツも、まだ解決策を見つけられていません。
日本も同じです。
でも、今、確実にできることが一つあります。
それは、これ以上、行き場のない放射能のごみを増やさないこと。

原発のない未来をめざす、西片さん、大河原さんのスピーチを、ぜひご覧ください。

【西片さんのスピーチ】
皆さまはじめまして。西片 嘉奈子と申します

今日はこのような場をいただきありがとうございます。私は11歳の男の子と9歳の女の子を持つシングルマザーです。3.11までは貧乏ながらも毎日子どもたちと楽しい日々を暮らしていました。それが今では、ここドイツの地に子供たちと立っています。その理由は東京電力福島第一原発の事故が私たちの身に降り注ぎ、去年まで、いや3.10までの穏やかな日々をすべて奪われてしまったからです。去年まで子供たちと一緒に遊んだ川原も奪われました。公園も今では草が生い茂り、誰も遊ぶことのなくなってしまった遊具が寂しくそこにあるだけです。普通の日常のすべてが、当たり前にしてきたこと全てが奪われました。
米沢市に引っ越して、窓を開けて風の通り抜ける気持ちよさ、洗濯物を外に干せる気持ちよさ、子供たちが学校から帰るとランドセルを投げ入れてすぐさま遊びに出て行く微笑ましさ、マスクをしなくてもいい爽快感。こんな普通のことがとてもありがたいことだったんだなと実感しました。

子どもたちの成長に、太陽を浴びること、虫を捕まえること、草花をつかむこと、川の中のどろの感触、木から落ちた栗のいがに指を痛めること、自然の中から学ぶことがこんなにも多き、重要だったことに気づかされました。

ある日子どもがこんなことを言いました。もう福島には帰れないと思うと。なぜ?と尋ねると、「福島にいたら病気になっちゃう。病気になったらママを悲しませちゃうし、治療にたくさんお金もかかるから迷惑かけちゃう、それにもし手術しても死んじゃったりするかもしれないから」と答えました。私がこの子と同じ年のころに、こんなこと考えたこともありません。

それが今では福島の子どもたちは皆、こんなことを考えながら生きているのです。
私は悲しくなるのと同時に、自分に腹が立ちました。今まで政治や電力、その他の利権や圧力がこの世に汚く存在していることすら知らず、また意識もせず、勉強もしてこなかった。その結果、子どもにこんな思いをさせてしまって、なんて愚かな人間だったんだろうと。一生私は子どもたちに対して、申し訳ないという気持ちは拭えずに暮らしていくことと思います。でもけして過去は憎みません。だって、今私がこうしてここにいるのは、過去があるからなんです。ほんのひとつでも欠けてたら今ここにはいません。3.11以降に出会った人々も、過去が会ったから出会えた私の宝です。人間だって、犬だって、ライオンだって、カエルだって、みんな親というのは子どもを守る本能に変わりはありません。そしてそれはどんな大きな力よりも勝る強さを持っています。このことを忘れずに、未来の子どもたちのために、今私は立ち上がり、原子力のない世界を作るために全身全霊をかけて取り組みます。それが今私に与えられた試練です。福島に住んでいたものとしてやらなければいけない人生の課題です。

【大河原さんのスピーチ】
皆さんこんにちは。私は大河原と申します。福島から来ました。

私は26年間、家族とともに農薬、化学肥料を一切使わない有機農業を営んできました。
年間約50種類の野菜や穀物を栽培し、和牛や鶏も飼っています。25年前、長女を出産した二ヵ月後に、チェルノブイリ原発事故がおき、8000キロ離れた日本でも放射能が検出され、母乳を飲ませていた私は恐怖を感じました。

家から東に約40キロにある福島第一原発。将来わが子を苦しめることになるのではないか。
私は原発について学習を始め、友人知人に原発の危険性について知らせ、講演会を開くなど活動を行ってきました。

しかし、その後5人の母となった私は、育児、畑仕事と忙しく動き回り、しだいに反原発の運動から遠のいていきました。そして近年、農民は異常気象に苦しみつづけ、原発が「温暖化防止によい」のであれば、必要悪なのかとさえ思い始めました。そして3月11日、経験したことのない揺れ、目の前で道路が割れました。家族の無事を確認した瞬間、戦慄が走りました。原発は大丈夫なのか? 思わず東の方向をみました。この後何が起きるのか、私は学習したはず。20年も前に何度もその怖さを知っていたはずなのに、私は何もしなかった・・・。

いまだに福島第一原発は放射性物質を空中に、海中に吐き続けています。国や東京電力の対応は、何を守ろうとしているのかわからないほど、期待とはほど遠いものです。一滴の農薬も、一粒の化学肥料も使わずに耕してきた私たちの畑に今、放射能の塵が降っています。でも私はあきらめません。いつか必ず再び豊かな農作物を収穫してみせます。そして、この後の人生をかけて、この世界から原発をなくすための運動をします。故郷、福島で再び微笑みが戻るよう、一人の親として、一人の大人として、責任を果たしていこうと今、強く思っています。

グリーンピース・ジャパン

ライターについて

グリーンピース・ジャパン
グリーンピースは、環境保護と平和を願う市民の立場で活動する国際環境NGOです。世界中の300万人以上の人々からの寄付に支えられ、企業や政府、一般の人々により良い代替策を求める活動を行っています。ぜひ私たちと一緒に、行動してください。

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