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みなさん、こんにちは。グリーンピース・ジャパン広報の関本です。

国際女性デーの翌日、39日に「みんなで話そう、女性と環境」トークイベントを開催しました。

環境汚染や開発の現場から女性の人権について考えるために開催したこのイベント。フォトジャーナリストとして世界で取材を続ける林典子さんを迎え、グリーンピース事務局長の米田祐子が話をうかがいました。都内の会場には女性だけでなく、男性の参加者も含めて約30人が参加してくださいました。

 

原発事故2週間後の福島

林さんのトークは、福島での取材から始まりました。

「原発事故の後、初めて福島県に入ったのは42日でした。ドイツの週刊誌向けの撮影のために宮城と岩手に滞在した後、福島に向かいました。

ちょうど桜の季節で、桜の花がパラパラ落ちてくる。遠くの方から、残された犬の鳴き声が聞こえている。その時の静かな情景が印象に残っています」 

林さんは、グリーンピースと一緒の取材を含め、2011年以降何度も福島に足を運んでいます。

原発事故が起きるまで、原発や放射能についてあまり意識していなかった、という林さんが、「福島をもっと取材したい、しなければいけない」と思ったのには、一つのきっかけがあったそうです。

 

原発の燃料、ウランの町で

「中央アジアのキルギス共和国。240万人が暮らす、日本の面積の半分くらいの国に、マイルスという小さな町があります。

ソビエトの核開発の歴史の中で、1946年から68年までに、1万トンのウランが採掘された町です。福島原発事故の翌年、この町を訪れました」

林さんの代表作の一つ『キルギスの誘拐結婚』と同時期に撮影されたのが中央アジア・キルギスのウラン鉱山の町です。マイルスというこの小さな町は、かつてウラン鉱山として栄え、ソ連の核開発の時代は海外の技術者たちが暮らすエリートタウンだったそうです。

マイルスでは、1968年に工場が閉鎖されたあと、ウラン工場に残されたものや採掘されたウランのクズが、石や土を上からかぶせただけで町の中に埋められてしまいました。林さんが話を聞いた現地の研究者によれば、この町のホットスポットは、毎時150マイクロシーベルトにもなるそうです。

 

「町の所々に『放射能 生命の危険』と書かれた看板が立っています。

そこを人々や家畜が歩き、その家畜のミルクを人間が飲む。町の前を流れる汚染された川で、魚釣りをする。子ども達は川で水をくんで、家に持ち帰る。

町を歩いていると、障がいを持った子どもを不思議なほど多く見かけます。チェルノブイリでも見られたような、生まれつき手足が曲がっていたり、頭が大きくて手足が発達しない子どもたち。

マイルスでは、キルギスのほかの町と比べてガンの発生率が4倍、子どもの30%に甲状腺腫瘍があるといいます。マイルスの病院の方によれば、私が取材した前の年に生まれた517人の子どものうち、56人が障がいを持って生まれたそうです。

賠償もない、避難もできない

マイルスに障がいを持った子どもが多いことは、放射能とは関係ないとキルギス政府は言っています。証拠がない、というのです。そのため、政府は賠償金などを支払っていません」 

68年にウラン工場が閉鎖されてからは町にはランプ工場ができ、町の80%の人がランプ工場で働いているそうです。キルギスの平均月収は3万円ほどですが、ランプ工場での月収は8,000円から1万円程度。経済的に厳しく移住も難しい中で、町の人たちは、この状態で暮らしていくしかないそうです。

「取材中、夫が失業してアルコール中毒になってしまったという女性に出会いました。夫が働けないため、彼女はご近所に支援をお願いしながら、障がいを抱えた子どもを育てています」

『福島は大丈夫なのか?』

「私がマイルスを取材したのは、福島第一原発事故の直後で、マイルスの人々にも事故のことは伝わっていました。『福島は大丈夫なのか』と聞かれました。

マイルスのことを知ってから、私は福島のことがもっと気になるようになりました。福島で取材している時と共通するところがあると感じたのです」

林さんのマイルスのフォトストーリーはこちら

災害や紛争で表面化する不公平や差別

「イスラム国に迫害されたイラクのヤズディ教徒は、もともと3世代は一緒に暮らすことが多かったのに、今では両親はイラク、自分はアメリカ、兄弟はドイツなど、世界中で離ればなれに暮らすことになった家族もたくさんいます。

福島でも、原発事故の後、子どもを被ばくからまもるために、夫や家族、慣れ親しんだふるさとを離れて避難を選んだお母さんたちがたくさんいます」

家族や子どもを守っていく女性の意志 

しかし、危機的な状況にあっても、女性だからこそできることがあります。

「女性の家族や子どもを守って行こうという意志の強さには、どこで取材をしていても強く感じました。福島でも、取材に応じてくださった方の多くは女性でした。私より5~10歳くらい年上の方で、子どもをまもらなければいけない、という強い使命感を持っている女性たちでした」

林さんと一緒に、私たちグリーンピースは福島原発事故の後に子どもたちを連れて京都に避難をしたお母さんたちに取材に伺いました。

 

避難した先で、裁判の原告になったり、避難者のネットワークをつくったりと、被害を受けた多くの女性たちが、声を上げています。デモや座り込みなど、原発に反対する活動の先頭に立ってきたのも、女性でした。

”社会的弱者”と呼ばれることの多い女性や少数グループですが、林さんは、そのような人々がもつ意志の強さが、林さん自身の写真への原動力になっていると話していらっしゃいました。

「女性たちは、現実を受け止めて生きていこう、という強い意志を持っています。そのような強い意志を持った人々に出会うと、写真家として写真を撮って、発表しなければいけないと感じます。彼/彼女達のストーリーを、写真に写して、届けなければいけないと」

 

グリーンピースは、東京電力福島第一原発事故と適切な政策や支援策がなかったことによって、女性や子どもたちが特に大きな負担を負ってきたことをまとめたレポート『格差ある被害』を発表しました。

避難区域外から避難した方々への唯一の支援である住宅支援をこの3月で打ち切る、高度に汚染された地域が残る飯舘村の避難指示も3月で解除するなど、政府は帰還政策を進めています。

子どもを被ばくさせないために、避難を続けたいという人たちが、経済的な理由で帰らざるを得なくなる可能性があります。 

政府に、十分な賠償や住宅支援を続けること、そして被害者の人権を守ることを求めて国際署名を行なっています。あなたも、一緒に声を上げてください。

「被害者の人権をまもって」今すぐ署名する >

林典子(はやしのりこ)

フォトジャーナリスト。イギリスのフォト・エージェンシー Panos Picture」所属。大学時代の2006年に、西アフリカのガンビア共和国の現地新聞社「The Point」紙で写真を撮り始める。以降、国内外で取材を続け、National Geographic 日本版、ワシントン・ポスト、デア・シュピーゲル、インターナショナル・ヘラルド・トリビューン、GEO誌(ドイツ版、フランス版)、DAYS JAPAN、マリ・クレール (イギリス版)などの雑誌や新聞でのニュース報道や、ドキュメンタリー作品の発表を行う。12DAYS国際フォトジャーナリズム大賞、13年フランス世界報道写真祭Visa Pour L'Image(ビザ・プール・リマージュ)報道写真特集部門「Visa d'or」金賞、14NPPA全米報道写真家協会賞1位など受賞。著書に『フォト・ドキュメンタリー 人間の尊厳 いま、この世界の片隅で』(岩波新書)、写真集『キルギスの誘拐結婚』(日経ナショナル ジオグラフィック社)、『ヤズディの祈り』(赤々舎)など。
オフィシャルサイト 

この記事は、39日に実施されたグリーンピースのトークイベント「みんなで話そう 女性と環境」での内容を元に、作成されています。

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