南極海ではシーシェパードの襲撃・拘束騒ぎが一段落したようだ。日本人の反発を引き起こすだけの暴力的なやり方は、「偽」“調査捕鯨”の問題点を日本で見直す役には立たない。

いっぽう、グリーンピースのエスペランサ号は捕鯨母船・日新丸の近くで非暴力による抗議を行い、その後も監視を続けている。先日22日、日新丸が補給船のオリエンタル・ブルーバード号から給油を受け、冷凍箱詰めの鯨肉を積み替える作業にゴムボート2隻で抗議したことに対して、「危険な妨害だ」という非難が(財)日本鯨類研究所や日本政府から出された。

問題を整理しておくと、まず南極海は公海であり、国際捕鯨委員会(IWC)が正式議決したサンクチュアリ(商業捕鯨を禁止した鯨類保護区)であり、また環境保護を大きな目的に含む南極条約の対象海域であって、日本の海ではない。グリーンピースの抗議は、サンクチュアリと南極条約に守られた海で油漏れのリスクをともなう給油を行うこと、そして正当性の疑わしい擬似商業捕鯨で捕殺したクジラの肉を、日本国内に持ち帰って流通させることに対する異議申し立ての意味をもつ。

グリーンピースの非暴力直接行動は、たとえば有害な製品をつくる工場前に労働者や市民が座り込んだり、原生林の樹木に抱きついてチェーンソーによる伐採から守ろうとしたり、銃撃や砲撃のターゲットになった人や建物に「人間の盾」として身を寄せることで攻撃を思いとどまらせたりするのと同様、民主社会の機能不全を補う意図で行われる。自他の生命・身体を傷つけるやり方はしない。グリーンピースが、ガンジーやキング牧師など多くの先駆者から学んだこの非暴力原則を踏み外すことは、絶対にない。

今回のゴムボートによる抗議を例にとれば、あらかじめ捕鯨船団側に平和的な抗議であることを無線連絡したうえ、日新丸と補給船のあいだに入って、給油や鯨肉積み替えが行われないよう試みたにすぎず、それ以上の実力阻止などしていない。むしろ本当に危険なのは、高圧ホースからの放水でゴムボートを狙い続け、巨大な2隻の船でゴムボートを挟み込んだ日本の側だろう。放水はいつも当然のように行われるが、直接ゴムボートを狙うため、小さなゴムボートの船体内に水がたまりすぎれば冷たい南極の海で転覆しかねない(過去に何度か起こった)本当に危険な行為だ。昨年12月18日のブログで書いたとおり、捕鯨船がグリーンピースのゴムボートの頭ごしにクジラを砲撃することと合わせて、強く抗議したい。

工場のゲート前に座り込んだ労働者や市民に対し、企業側が原料を積んだトラックを無理やり近づけて、「危険だ、妨害だ」と言いながらそのまま前進したら、座り込んだ人たちに怪我人や死者が出るかもしれない。実際、人間の盾としてパレスチナ人の側に身を置いた米国人女性を、イスラエル軍の戦車が轢き殺した悲しい事件もあった。

非暴力直接行動は、抗議される側にとってもちろん「迷惑」であり「妨害」と感じるだろうが、近代民主社会はそれを織り込んだうえで、異議申し立てが問題解決の道を開く可能性を認める。グリーンピースはけっして器物損壊を手段としないが、英国では軍事基地や関連研究施設に侵入して、大量破壊兵器を使えなくする直接行動に無罪判決が出るくらい、「非暴力」に対する理解の幅は広い。それに比べて、グリーンピースの非暴力直接行動は穏健かつ抑制的だ。

日本では、民主社会を補完するこうした非暴力直接行動の意味と役割があまり認識されていないために、見かけの印象論や、抗議される側の「迷惑」論で片づけられることが多い。総事業費の7割近くを広報に使う国策プロパガンダ機関である日本鯨類研究所などの言い分を鵜呑みにせず、メディアには独立性を保った報道をしてほしいし、英国BBCのように現場を取材してほしい。

 シーシェパード的な極論と、水産庁/鯨類研究所の身勝手な極論(今日放映のTV番組でも、収録時に元捕鯨官僚が「自分たちが正しくて、あんたたちが間違っているに決まっているんだ!」、「国際捕鯨委員会の正式議決なんて数の暴力だ!」などと繰り返すので、笑いをこらえるのに苦労した)から距離を置き、世界から疑問を突きつけられながら南極海まで出て行く“調査捕鯨”が日本の国益にかなうことなのか、その内容は日本の納税者・有権者として本当に支持できるのかという本質的な議論をしよう!