グリーンピース・ジャパンの創立20周年に合わせるように、現代人文社という法律関係に強い版元から『刑罰に脅かされる表現の自由――NGO・ジャーナリストの知る権利をどこまで守れるか』と題したブックレットが刊行されます。昨夏、“調査捕鯨”船団乗組員によるクジラ肉の組織的横領を告発する際の手法をめぐって二人の職員が逮捕・起訴され、まだ公判を控えた「クジラ肉裁判」に、“被告”の一人である佐藤潤一、主任弁護人の海渡雄一弁護士、ヨーロッパ人権裁判所の判例理論に詳しいヘント大学(ベルギー)のデレク・フォルホーフ教授、そして人権NGOアムネスティ・インターナショナル日本の寺中誠事務局長と弁護団の一員でもあるジャーナリスト出身の日隅一雄弁護士と私の鼎談という豪華キャスト(!?)で光を当てた本です。ぜひご一読ください! 下記に内容の一端をご紹介します。



刑罰に脅かされる表現の自由

――NGO・ジャーナリストの知る権利をどこまで守れるか


グリーンピース・ジャパン編+海渡雄一監修

現代人文社 GENJINブックレット57(11月初旬刊)

定価1,000円+税



まえがき



 国策にあぐらをかいて国民を見下す公僕(税金で養われる議員や公務員)ほど醜く、矛盾に満ち、また有害なものはない。20世紀前半、とくにアジア太平洋における15年戦争で、私たちは自他の多大な犠牲とともにそれを学んだはずだ。しかし戦後の日本は、政治や経済の分野で同じ過ちを続けてきたのではないか。時代や状況が大きく変わっても既定の政策を強行し、情報操作とデータ隠しと詭弁で異論を封じる政治家や官僚たち――。このたびの政権交代では、そんな政官業癒着(これに「学」界と「報」道を加えてもいい)のメタボ体質に、とうとう国民の堪忍袋の緒が切れた。


 グリーンピース・ジャパンの事務局長として見聞きしたなかでもっとも衝撃的な体験は、今回のクジラ肉横領告発をめぐる職員逮捕や家宅捜査ではなく、次の2件だ。


 2007年にはじめて国際捕鯨委員会(IWC)年次総会を傍聴して接した日本政府代表団のふるまいは、まさに異様なものだった。建前上の礼節を重んじる国際条約会議の場で、相手がG8加盟国であっても文字どおりの罵倒を浴びせる日本代表。会場の4分の1近くを占めようかという人数で日本から同行した捕鯨支持派民間人の方々が、日本代表の発言にばかりサクラよろしく一斉に拍手を送る。戦前の国際連盟脱退さえ連想させる強烈な排他的気分は、どこかの独裁国家と見間違えそうだった。


 国益を主張するのは独立国の正当な権利だし、国際条約会議での議論も堂々と行うことに異存はない。しかし、国際協調を旨として他の分野ではおとなしすぎるくらい行儀のいい日本政府が、なぜIWCの場でだけ横暴ともいえる言動を見せるのだろう。私はそこに、年間1000頭以上のクジラを捕殺する“調査捕鯨”という国際捕鯨取締条約の荒唐無稽な拡大解釈により、日本政府自身がIWCを機能不全に陥れている後ろめたさの病的な反動を見る。新政権が税金のムダづかいや天下り、そして国益を害する官僚の暴走にメスを入れていけば、日本の捕鯨政策はかならず変わるだろう。


 2つめは、本書の巻末鼎談でアムネスティの寺中事務局長もしきりに憤る、青森地検の検察官と私のやりとりだ。当初は組織ぐるみの指示命令で行われたと決めつけていた検事は冒頭、「被疑者としての聴取」だと凄みを利かせた上、開口一番、「捜査機関さえ令状がなければできないこと(証拠物件の入手)をNGOの分際でやったのは絶対に許せない!」と吐き捨てた。表面では冷静を装いながらも、私はこの言葉に腰を抜かすほど驚いた。その場できっぱりと反論できなかったのは残念だが、内心「正義の番人がこれでは日本は民主社会といえないな」と暗澹たる気分だった。逮捕・拘留中、もっと赤裸々な非民主的処遇や人権侵害に接した佐藤と鈴木の気持ちは推して知るべし。


 詳しくは本文に譲るとして、政府・公権力を縛るための令状捜査を持ち出し、国民・市民による政府監視行為を「許せない!」とは、まったく論理が逆転しているではないか。民主社会における法の運用は国民主権、つまり国民・市民による政府のコントロールという権力の傾斜配分を踏まえるべきであって、公権力側の権力行使は十分に抑制されなければならない。その一端が、裁判所による令状審査手続きである(本来は)。



 それにひきかえ、フォルホーフ教授らが紹介するヨーロッパ人権裁判所の法理と判例は、「なるほど、民主社会での法運用はかくあるべし」と納得できるし、日本の現状に慣れた目からはウロコが何枚も落ちる。とりわけ、社会の主流でない主張にこそ公平に耳を傾けるべきだというまっとうな姿勢(すべての新しい考え方は最初、主流ではない)、得られた公共の利益と失われた法益とを公明正大に秤にかける本来の正義、そして政府・公権力による過剰な懲罰が国民・市民による政府監視を萎縮させることへの厳しい目は、大いに学ばされた。しかも、それが遠い話ではなく、日本も30年前に批准している国際人権規約の同じ土俵での運用なのだ。同規約の選択議定書(個人通報制度)や独立人権機関の設置、取り調べの完全可視化、証拠開示の徹底など、人権面での国際標準達成を公約した民主党政権に期待したい。



 グリーンピースの“本業”は、その名のとおり環境と軍縮の分野にあって、法律や人権は専門ではない。しかし、非暴力に徹しつつも政府や大企業と大胆に渡り合う活動のスタイルは、各国でさまざまな裁判を生み出し、その多くに勝訴することで、市民社会にとっての法的地平を広げる役割を果たしてきたのも事実だ。私自身、このクジラ肉裁判から、日本と世界を考える新しい切り口をたくさん学んでいる。願わくば、本書と現在進行形のクジラ肉裁判とが、読者にとっても日本社会の未来を計る物差しとなることを――。



他方、アマゾン、南北極地、ニューギニアやアフリカの奥地など「秘境」とされる場所で行われる環境破壊の現場に立ち会い、貴重な目撃情報を世界に発信することは、グリーンピースの重要な活動の一つになっている。その意味で今回、当事者として「人権の秘境」と呼べる日本の警察・検察・司法状況を目撃したからには、その情報を広く国内外に発信して警鐘を鳴らすのはグリーンピース本来の責任の取り方ともいえる。国家権力が法を恣意的に運用する社会で、環境と平和を守るのは難しい。



 最後に一点、日本でグリーンピースにつきまとう「テロ」という言葉について。絶対非暴力を貫き、国連の総合協議資格を持つ世界有数の国際NGOをテロリスト呼ばわりするのは、国策にケチをつけられた捕鯨官僚の腹いせだろうが、メディアまでそれに追従するのは解せない。国内にイスラム原理主義を抱え、実際に列車爆破事件が起こった英国のBBCでさえ、ガイドラインで「テロリストという用語は理解を助けるより妨げるバリアとなりやすく、客観的な用語としては使わないように」と定めている(日隅一雄著『マスコミはなぜ「マスゴミ」と呼ばれるのか』現代人文社刊)。言葉は真実を映すこともできるし、人を惑わすこともできる。メディアとNGO市民セクターは第四権力として、政府・公権力をチェックする役割を分担しているのではなかったか。



 本書をきっかけに、環境と軍縮の問題に幅広く取り組み、調査・研究から政策提言まで、非暴力直接行動以外の側面でも世界屈指の活動を展開するグリーンピースにご注目いただければ幸いだ。



グリーンピース・ジャパン事務局長 星川 淳




<目次>



第1部

「クジラ肉裁判」とは何か?

はじめに

1.「調査捕鯨」の不正を告発して逮捕――何が起きたのか?

グリーンピース・ジャパン職員 佐藤潤一

2. NGO活動家にはジャーナリストと同様の調査活動の自由がある――クジラ肉裁判における弁護側の自由権規約にもとづく主張

弁護士 海渡雄一

第2部

ヨーロッパ人権裁判所の判例に学ぶ

ジャーナリストとNGOの表現の自由はどこまで守れるか?

1. デレク・フォルホーフ氏による講演から

2. 講演会における質疑応答から


第3部

[鼎談] クジラ肉裁判の隠された本質

グリーンピース・ジャパン事務局長 星川 淳

アムネスティ・インターナショナル日本事務局長 寺中 誠

弁護士 日隅一雄