「市民感覚とのずれ」

原発の再稼働をめぐる議論が注目を集めている。

枝野幸男経済産業相は、再稼働について「エネルギーの需給よりも、今、優先度が高いのは間違いなく、安全の確認だ」と述べた。しかし、原発の「安全確認」が優先されているようには思えない。

大部分の市民がそう感じているのではないだろうか?それはなぜか?


「安全」では納得できない

今、市民が求めているのは「安全」ではなく、「安心」だ。「安心」は、以下の公式で表されると考える。

安心=安全+非常時への備え+信頼

いくら「原子炉は安全です」とストレステストにおけるコンピューターシミュレーションが診断してくれても、「万が一への対策」や情報を発信する政府や事業者への「信頼」がなければ「安心」は獲得できない。

今の政府は「安全確認」を最優先すると言うが、そもそもその「安全」自体が怪しいだけではなく、非常時への備えは後回しで、信頼など皆無に等しい。

「非常時の備え」や「信頼」がない中で、「安全」だけを強調しているために「安心」は「不安」へと変わっている。

 

<参考>
30キロ防災対策は「困難」 (NHK 3月9日)
「東京電力・福島第一原子力発電所の事故から1年が経つのを前に、NHKが県内の自治対に行ったアンケート調査で、原発事故に備えた防災対策を重点的に整備する範囲を半径30キロに拡大した場合、実効性ある対策を取れるか尋ねたところ、「取れる」と回答したのは、敦賀市のみだったことがわかりました。」

 


経済界に踊らされる「裸の王様」

震災から1年を迎えて、さまざまな検証番組や事故調査報告が毎日のように報道されている。

また、毎週のように地震が発生し、あの時の恐怖がよみがえる。

この状況で、「安全を最優先に」と言いながらも、あわてて再稼働をすすめる野田首相や枝野経産大臣は電力事業者を守ろうとする経団連に踊らされる「裸の王様」に見える。


元にもどすべきは「被害者の生活」か、「加害者の原発」か?

被害者が元の生活に戻れず日々苦しんでいるのに、加害者である原発を先に元に戻そうとのか。

しかも、電力事業者の「金」のための再稼働だ。

まず、事業者や政府が電力需給とコストに関するあらゆる情報を公開し、本当に電力が足りないのかを徹底的に検証する。同時に被害者の生活再建に最善をつくす。そのうえで、国民が「安心」であると納得できる方針をしめすべきだ。

現在、国はエネルギーの基本計画を見直している。夏にもその方針を示すという。この議論が再稼働による混乱で影響されることがあってはならない。

 

1年間の「再稼働モラトリアム」

私は、2013年3月11日までの1年間を「再稼働議論モラトリアム(一時停止)」として「再稼働」の議論に時間を費やすことをきっぱりやめるべきだと思う。

その代わり、天然ガスの確保、余裕をもった省エネ対策と自然エネルギーの普及、仕事への補償などを計画的かつ建設的に実行する。

さらに、その間に日本のエネルギー政策をしっかりと考えなおす。

「再稼働するかしないか」で社会不安をあおるより、「1年間はしない」と決めることでより建設的な対応と「安心」が確保できるはずだ。

震災から1年、長期間放射能と向き合って生活しなければならないことを考えれば、同じことを繰り返さないために1年じっくり議論するのは決して無駄ではない。

 

このブログは、事務局長の佐藤潤一が書いています。

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