既存の経済システムに疑問の声高まる 

6月末、世界中から約3万人がブラジルのリオデジャネイロに集まり「国連持続可能な開発会議(リオ+20)」が開催された。地球の将来を決める重要な国際会議であったにも関わらず注目も成果も十分でなかったのは残念だ。

しかし、この会議では環境問題に対するビジネスや経済システムのあり方を本質的に変えていかなければいけないという声が強く上がった。

経済システムのあり方を変えなければいけないという指摘はこれまでもあった。しかし、人口増加、気候変動、生物多様性の激減など、実際に行動に移さなければ地球環境は手遅れになりかねない段階になりつつある。

それでは、経済システムはどのように変わっていけば良いのか?

そのヒントを探るために高崎経済大学の経済学部教授であり、社会的責任投資(SRI)(*1)を研究されている水口剛さんにお話を聞いた。

 

(*1)財務分析だけではなく社会・倫理・環境といった社会的責任を果たしているかどうかを投資基準にし、投資行動をとること。英語のSocially Responsible Investmentを略してSRIとも呼ばれる。

 

 


(ご本人の希望により水口教授の敬称は「さん」とさせていただきました)

佐藤:

水口さんが最初にSRIなどに興味を持たれたきっかけは何だったのでしょうか?

 

水口さん:

1989年に、バルディーズ原則が日本で紹介されたのがきっかけです。

この原則は、企業が利益を上げる活動を行う際には環境を破壊しない範囲で行わなければいけないと定めたもので、環境に配慮すべき10原則からなっています。

もともとは、1989年の3月に、アラスカ沖でエクソン社のバルディーズ号という船が座礁したことが発端となってアメリカのSRI団体が作成したものです。

それを紹介しようと日本のグループができまして、シンポジウムなどをしていました。その時SRIを初めて知り、そのグループに入ってSRIを広めようと思ったのが最初です。

 

佐藤:

きっかけは、バルディーズ号の座礁事故だったのですね。そう考えると、東電福島事故の後に「福島原則」というのができてもおかしくないですよね。

 

水口さん:

おかしくないですね。その時にも、日本でなぜこのバルディーズ原則を輸入するのかと聞かれました。要するに、日本で水俣病が起きた時に「水俣原則」というのを作っているべきだったというわけです。

その通りですよね。さらに東電原発事故もあったわけですから、今の企業活動や経済にはリスクがあるし、アンフェアなこともあるということをちゃんと学習して、形に残さなければいけないですよね。

 

佐藤:

バルディーズ原則にはどういうものが含まれているのですか?

 

水口さん:

10原則には、生態系の保護、エネルギーの賢明な利用、有害廃棄物を出さないなどがありまして、そして最後に企業が自らを監視するという監査と情報公開の原則が書かれています。つまり、企業がバルディーズ原則をどのように順守したのかを自ら報告すべきというわけです。

これがきっかけで、環境報告書という考え方が生まれてきて、アメリカの企業が環境報告書を作り始めたのです。

その当時、日本にはまだSRIをやる投資家がいませんでした。日本では金融機関よりも、企業の方がまだ環境問題に取り組むということがありましたので、家電メーカーや電子機器の会社、自動車会社などに働きかけて、環境報告書を作りませんかと勧めてきました。

 

佐藤:

20年以上、金融や企業の責任を研究されていますが、東電の福島原発事故をみて何が一番問題だったと思われますか?

 

水口さん:

日本では金融の責任という考え方が根付いてこなかったということでしょうか。お金をだすということには責任があって、注意して行わなければいけないことなのですが、その理解が足りなかったと思います。

だから電力会社にも無批判で投資していた。大きな影響のあるものを扱う者の責任がどうも十分に理解されていない。

子供に武器を持たせたりしたら、あぶないということはわかりますので、そういうことはさせないようにしますよね。原発は、安易に扱ったら危ないものだったのに、その認識が足りなかったから、失敗したのだと思います。

さらに金融はそれに匹敵するぐらい大きな影響力があるものです。

お金をどこに流すかによって社会への影響は大きいにも関わらず、その影響力をみんなが認識していない。

認識していないから、みんな自分が儲かることにだけ投資している。これまでその責任に気が付いていなかったから、金融にはそもそも責任を果たす仕組みもない。例えば、法律だったり運用規則だったりルールだったり、理念すら整理されていないのです。

 

佐藤: 儲けるだけのものになっているということですね。

 

水口さん:

人のお金を預かっているので、損をさせてはいけないという受託者責任はわかっているのですが、それ以上の責任があるというのは理解していないのです。

受託者責任だけではなく、社会全体に対する責任があるということが制度化されてないし、認識されていません。

例えば、粉飾決算をしたら罰せられますが、社会的責任を果たさなければ罰せられるという制度もないですよね。また、そもそもそういう理念を教育する仕組みもないのです。

 

佐藤:

東電福島原発事故で、大きな被害が出てしまいましたが、金融は責任を感じていると思いますか?

 

水口さん:

金融が責任を感じているとは思いません。責任を感じない理由は、「自分が投資しなくても誰かが投資する」という認識があるからだと思います。

金融は、企業がどのようなことをするかは自由で、規制するのは政府の仕事だと思っている。つまり、市場にある企業はすべて良い企業で、悪い企業は政府が規制してくれということです。そしたら投資家は、どこの会社もいい会社だから、あとは儲けることだけ考えれば良いのだと。

世の中を良くしたりガバナンスを働かせたりする責任は政府だけにあるので、それは投資家の責任とは関係ない、だから東電原発事故ではむしろ自分たちは「被害者」だと思っているのではないでしょうか。

経済社会をコントロールする方法を、誰にどう委ねるべきかという問いは重要です。

政府がすべて規制する中で、あとはひたすら儲ければよいというのでは、うまくいかない。だから、政府以外の人たちも、経済をチェックして行動するという責任を共有すべきだと思う。

普通に経済学を勉強すると、自由市場で競争原理が働いてすべてが効率的になると教わります。いわゆる外部不経済があれば、政府が規制すべきだと。

しかし、これからは経済学を変えなければいけないのだと思います。一人ひとりのアクターが、倫理的な考えを取り込んで、それぞれ判断して行動する方が全体的に効率的になるということを理論として構築すべきだと思います。

一人ひとりの投資家に倫理原則を持って行動してもらい、政府は一人ひとりの投資家が倫理的に行動しているかを規制するのが良いのではないでしょうか。

 

佐藤:

それではSRIにおけるNGO(非政府組織)の役割はなんだと思いますか?

 

水口さん:

NGOの役割はすごく大きいと思います。というのは、金融機関が社会問題の良し悪しを判断することにも問題があるかもしれないからです。

例えば、原発の是非や兵器産業への投資のように、実際に、議論の分かれている問題があるじゃないですか。そういう問題について金融機関だけで「良い」「悪い」を判断するのが良いのかと言われると、どうでしょう。

また、生態系の問題や人権問題など、環境や社会の問題は幅が広いので、金融機関がすべてに精通するのは不可能です。彼らは、社会的責任のプロではないので、外部とのネットワークによって、判断するのが現実的なのです。

そうすると、環境問題や社会問題を専門としているさまざまなNGOのネットワークが網の目のように強固に存在していることが重要になります。

金融機関はいろいろなNGOなどから情報を得て、お金で投票行動をしていき、その結果が社会の全体の方向性を決めていくということで社会が安定すると思います。

影響力や調査能力のあるNGOが多数存在していれば、広い意味での世の中のメカニズムにまかせておくことができる。それは「新しい“見えざる手”(*2)」だと思います。

(*2)「見えざる手」とはイギリスの経済学者アダム・スミスの言葉。市場経済において個人が利益を追求することで、社会全体において適切な資源配分が達成されるとする考え方。

 

佐藤:

なるほど。それでは最後に、個人としては何ができるのでしょうか?

 

水口さん:

自分のお金が何に使われているのかを問題提起することだと思います。

自分の預金がどうなっているのかということです。「私のお金は、東電に投資されていますか」と金融機関に聞くこともできます。

少しハードルが高いかもしれませんが、お客様の声ですとか、保険会社であれば1年に1度の社員総会のときに、はがきで送るとかからはじめても良いのではないでしょうか?

 

佐藤:

「新しい“見えざる手”」という考え方が印象的でした。ありがとうございました。

 

 


水口さんは、経済活動に対してNGOや市民などが「倫理性」について積極的に監視・関与していくことが重要だと言う「新しい“見えざる手”」の重要性を提起している。

環境問題は、被害が顕著になった時には取り返しのつかない場合が多く、ゆえに自由経済における「見えざる手」が機能するころには手遅れの可能性が高い。

例えば、水俣病も、バルディーズ号座礁も、メキシコ湾での原油流出も、福島第一原発事故も残念ながら取り返しのつかない被害が起きてから市場経済がその代償に気がつき始めた。

市民社会が担うべき「新しい“見えざる手”」というのは、経済システムの中で「見える手」となり良いチェック&バランスの緊張関係を担っていくことなのだろう。そういう意味で、原発再稼働にNOを突き付ける市民の抗議活動やデモ、NGOの将来のエネルギー政策への提言などは「見える手」として市民社会が機能をはじめた良い例なのだと言えると思う。

 

このブログは、事務局長の佐藤潤一が書いています。

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<参考:グリーンピースビデオ Give Earth a Hand>