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国際環境NGOグリーンピースが、東京電力福島第一原発事故の影響についての最初の放射能調査は、2011年3月27日に開始。東京電力福島第一原発事故が発生してから約2週間後でした。

事故発生直後、チェルノブイリの放射能汚染の調査を行ってきたグリーンピースの専門家などを海外から招き、国際チームを編成しました。

以降、グリーンピースは、毎年継続して東電福島原発による放射能汚染の調査を行っています。

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1.専門家集団による精密な調査

グリーンピースのスタッフは世界に2500人。その中には核物理学者や、放射能測定の専門家もいます。英国のエクセター大学に独自の研究所を持ち、科学者が勤務しています。放射能測定に関しては、チェルノブイリやイラクなどの放射能汚染地域の測定に必要な知識と技術を持った専門家による調査チームが、高精度の機材で精密に調査をしています。東京電力福島原発事故による放射能汚染を調査するチームにも、専門家が多数参加しています。

菅野みずえさん (浪江町町民)

「放射能は、色もない、臭いもない、味もないから隠せてしまう。だからこそ、綿密な調査こそが、大切なのだと思います。見える形で示す事こそ、隠したいものを人々に見せることができます。敷地をくまなく数千箇所も測るグリーンピースの調査は信頼できます。」

 

 2.住民に必要な情報を提供

独立、公正で、国際的な放射線防護の視点に立った、透明性の高い情報と分析を住民や行政に提供し、住民が自らの健康を守るための対策を取ることを手助けします。

政府による放射能の調査は、個人宅に関しては、敷地の数か所を測るのみです。また、そこに帰還した場合・住み続けた場合に蓄積される放射線量については分析していません。グリーンピースは、住民の放射線防護役立てることを目的に、住民に役立つ情報を収集・分析します。

2012年の調査では、モニタリングポストの値が実際の放射線量の値より低く出ていることを発表しました。他団体の指摘もあり、こうした市民の動きに応えたのか、政府がモニタリングポストが低線量を表示する原因を調査、675台について改修工事を実施することになりました。

飯舘村村民 安齋徹さんの話

「お役所は、これから先自分がどうなるのかを教えてもくれずに、帰れ、帰れって言うばかり。グリーンピースは、家もまわりもこまかく測り、帰ったらどれだけ被ばくするのか、言ってくれてる。帰るか、帰らないか、自分で決めたい」   

 

3. 国際ネットワークを生かし、世界に発信

調査結果を日本語と英語でグリーンピースのウェブサイトで公表しているほか、記者会見を開くなどして発信に努めています。また、国連人権機関に調査結果を意見書などの形で提出しています。さらに、ほとんどの場合、プロの写真家が同行し、質の高い映像・画像を制作し、広く発信しています。2017年に実施した調査についての報道は、把握できただけでも世界で200件以上にのぼります。

こうして原発事故の風化を防ぎ、事故の教訓を伝えることにより、原発事故が再び起こることを防ぎます。グリーンピースは、人や自然を傷つけるのではなく、生かすエネルギー政策の実現を目指し、原発や化石燃料ではなく、省エネと持続可能な自然エネルギーによる社会への変換を促しています。

国連人権理事会でも発信

国連人権理事会で演説する森松明希子さん

国連人権理事会で演説する森松明希子さん(左)国連WEBTVより

調査結果は、国連の人権機関にも提供しています。2017年に行われた国連人権理事会の日本の人権状況の審査では、東電福島原発事故被害者の人権状況是正を求める勧告を引き出しました。

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政府や企業からの寄付を受け付けていないから、独立の立場での調査により被害の現状を明らかにして、根本から問題の解決を追求できます。

グリーンピースでは、調査結果を、東京電力に対して損害賠償訴訟を起こしている弁護団に提供、被害を受けた住民や企業が東京電力に対して損害の補償を求める際に必要な証拠集めに役立てていただいています。

独立した立場を維持し、個人の寄付に支えられているグリーンピースの調査へのご支援をお願いいたします。

浪江町町民 菅野みずえさんから、昨年の調査後にグリーンピース調査チームへ寄せられた手紙より(ご本人の承諾を得て、原文のままご紹介します)

 

グリーンピースの皆様

 今日迄ありがとうございました。

高い線量の中蓄積されるリスクを思うと申し訳なく思っています。

あれから初めて1週間続けて我町を見ました。

どこに行っても、そこに居たはずの人々を思い、辛い日々を過ごしてはおられないだろうかと思いを馳せました。

仮設(住宅)での人々のそれぞれの地での思い出を聞きました。

その言葉をどれだけ皆さんにお伝えできたか、調査という大切な作業の中で、邪魔にならない様にと思いながら心もとない気がします。

あの日幼かった子どもは、違う町の子どもとして育っています。

この町を残したい人々の頑張りは、原発も、事故も、汚染も

無視することでしか成立しません。

故郷だもの、戻りたい、でも原発は手つかずでそこにある、そのことの狭間で皆苦しんでいます。汚染の現実に目を向けなければ目をつむって生きていけるという人もいます。

国も県もそこにつけこみます。

 どうか実態を明らかにして下さい。

 色もない、臭いもない、味もなからこそ隠せてしまう。

だからこそ、綿密な調査こそが、大切なのだと思います。

見える形で示す事こそ、隠したいものを人々に見せることができます。

  人はそれぞれできる事を出来る力で助け合うのですね。

 見えないものは怖くはありますが、分かっているだけでその時10万

CPM以上の被ばくをしたけれど、この調査の案内をしたいと

思った様に、皆さんもきっと同じ思いなのだろうと思いました。

 今やらなければならない事があって、それをする力が自分に

あると思うおなら、人は正しい道を歩くのでしょう。

 家族にとってどうなのかはわかりません。でも、子どもや孫

たちが同じ不幸に合わない事に少しは役立ちたいし、役に

立つのだと信じます。

 新しい地に暮らし、新しい信頼できる人々に繋がりました。

事故はあってはならないものでしたが、それで終わりではありません。

どこででも人は生きていくのですね。わたしは新しい地で

こんなお酒を見つけました。日本の酒の基礎の灘の酒は

大手の酒造メーカーではなく、小さな酒造で今も昔々と変ら

ぬ作り方で造られ続けていました。ぜひご賞味ください。

飲みながらどうぞ新しい暮らしをどうぞよろこんでください。

4月20日以降に津島の桜は咲き、10月20日以降に

紅葉が彩ります。来年の調査はぜひその頃に(笑)

皆さんのご健康を願っています。

ありがとうございました。

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