こんにちは。
インターンをしている江端静香です。

私はカナダの大学に留学していて、夏休みの間を利用してグリーンピースでインターンをしています。土用の丑の日が近づく中、絶滅が危惧されているウナギを、次の世代にも残してほしいというメッセージをスーパーマーケットに届けるため、街頭で署名活動を行ってきました。

初めてこのような署名活動を行い、消費者の方々と話をして、自分で考え、感じたことをまとめましたので、ぜひご覧下さい。

『報道と現状のギャップ』
私がグリーンピースでインターンをしたいと思った理由の一つに、日々生活していては気づきにくい報道の裏側がある真実を意識するようになりたいという思いがありました。
ウナギの問題を考える上でこのことが実践されたと思います。ウナギの問題で報道に違和感を覚えたからです。

「ウナギが絶滅するかもしれない」と連日のように、新聞やニュースで報道されています。しかし、その報道内容では、資源の争奪戦だの、絶滅危惧種に指定された場合は食べにくくなるだの、対策として今まで食べていなかったウナギの種類に手を出そうだの、ただ食べたいという欲が優先されているように思えます。絶滅危惧種に指定‘されるか’‘されないか’よりも、絶滅危惧種に検討されるほどウナギが危機的状況にあることの方が一大事なはずです。

ニュースを何も考えずに見ていた頃の私が目にしたら、「ウナギがいないから大変! どう守ろう?」じゃなくて、「食べられないのは大変! どうやって今後手に入れて、食べようかな」と考えていたかと思います。

また、ウナギが絶滅の危機にあるということを知っていても、毎年のようにウナギがスーパーや老舗店、定食屋で売られているのを目にすると、報道される問題点が嘘のように思えるのです。

――絶滅の危機は大変だけど、どこか遠い場所で起きている自分とは無縁の問題だ

というように、自分の日常から遠ざけてしまいます。その結果が絶滅の危機という現状を引き起こしてしまったのかもしれません。

 

『ウナギ問題は環境問題の縮図』
いくらニュースで報道される内容とその裏側になる真実にギャップや違いがあっても、ウナギの資源状況の事実についてもし知る術がなかったら、表面上には値段が高くなったとしか感じないので、問題の深刻さを知らずに過ごしてしまったと思います。

日常生活ではウナギを簡単に購入することが出来る事の怖さに、私たちが選んできた便利な社会の危うさを感じます。これはウナギ問題に限らず、他の環境問題にもいえます。私たちは、目先の欲を優先してしまうため、その先に取り返しのつかない事態を招いてしまうのです。

次の世代にもウナギを残してほしいというメッセージを街頭で集めていた時に、「うなぎをこれからも食べたいから、スーパーには乱獲や絶滅危惧種のものを売らないで欲しい」と女性の方が話していたのが印象的でした。ウナギを食べたいから、いま食べておくのでは、将来食べられない事態を招きます。これでは一番望んでいる「ウナギを食べ続けたい」という思いを妨げているのは、結局のところ私たちになります。

  

『私たちに、できることは?』
報道をうのみにするのではなく、疑問を持つこと。これが大切だと思いました。知らない事は悪いことではないかもしれませんが、知ろうとしない事で問題を認識しない事の恐ろしさを感じました。

街頭での署名活動の際にウナギの問題に関心がある方と話していて身を持って感じたのが、一人がウナギを食べないと言っても(もちろんとても、とても大切です)、保護にはつながらない。元凶である、消費を促進しているスーパーマーケットや店での販売方法を変えなくてはいけないということです。

消費者が求めているものは種の絶滅でも、乱獲でもなく、将来的に食文化を守るための保護と管理する側の持続可能な食料調達です。グリーンピースではウナギの持続可能な調達方針を求める署名活動とオンラインで魚全体の販売方法の改善をスーパーに求める署名活動を行っています。ぜひ、ご協力をお願いします。

 

『日本人ということ』
最後に、なぜウナギ問題は私の問題であり、あなたの問題なのかをもう少し考えたいと思います。

私はカナダの大学に通っているということもあり、よく環境問題について日本人として意見を求められたり、時には批判されます。私は日本人だけれども、ウナギが絶滅するほど食べた覚えもなければ、クジラの肉も食べた事がないので、批判されることに対して、最初は理不尽だと思っていました。

しかし今回、ウナギの問題と向き合っていく中で、私はそういった現状に反発している自分に満足していた事に気付きました。ウナギの絶滅を促す現状を変えようとするどころか、自分自身作りだしていたのです。スーパーや定食屋を利用し、そういった社会に属し危機を黙認することは、ウナギ絶滅への過程を立派に手助けすることなのだと気づきました。

自分自身がウナギ絶滅の危機を促している自覚がなくても、間接的にこの現状を生み出すことを許すことは、私も加担しているのだと自覚しショックを受けました。自分が問題となっていることを直接していた、していないに関係なく、ウナギが好き、嫌いに関係なく、ウナギを、環境を顧みない社会にいること自体に私にも責任があります。

私にできることは、この流れを変えようと行動することです。ウナギの場合には、たとえばスーパーに持続可能な調達方針を作ってもらう事です。

一人でも多くの人が現状に対して疑問を持ち、声を上げて欲しいです。そうすることで、大きくいえば環境問題について面と向かい、個人でいえば、「私は日本人です」と胸を張って自己紹介できます。最終的に環境問題もウナギ問題も自分がどうありたいか、社会がどうあって欲しいかだと思います。