
山口県の南東部、瀬戸内海に向かって伸びる室津半島のその先、長島の南端に多様な生態系を守り育む内海、田ノ浦が広がります。 「奇跡の海」とも呼ばれる田ノ浦を有する上関町は、日本唯一の原発の新規建設計画地です。 埋め立て計画地の3.5キロ沖に浮かぶ祝島では、建設計画が持ち上がった1982年以来、原発反対の抗議運動が行われてきました。その40年の間にはチョルノービリ(チェルノブイリ)の原発事故、そして福島第一原発の事故がありました。 上関町では、2022年10月23日(日)に町長選挙の投票日が予定されています。長い間地元の人々を揺さぶってきた原発建設の行方を大きく左右する選挙です。 上関原発建設をめぐる人々の抵抗と強いられた分断の歴史、そして町長選についてまとめました。 |
11年ぶりとなる上関町長選挙

山口県熊毛郡上関町に原発建設計画が浮上してから、40年の月日が流れました。
しかし、この場所にはまだ原発は建てられていません。豊かな自然を守ろうとする地元の人々の粘り強い反対運動があったからです。
10月23日の日曜日に、この町で11年ぶりとなる町長選挙が投開票日を迎えます。
前町長である柏原重海氏が病気療養のために辞職し、原発推進派が町議会議長を務めていた西哲夫(にし・てつお)氏を擁立、反対派からも住民団体「上関原発を建てさせない祝島島民の会」の運営委員を務める元中学校教員の木村力(きむら・つとむ)氏の立候補が発表されました(※1)。
推進派と反対派から出馬する新人候補者2名から町長を決める選挙となります。
40年、海を守るために続いた抵抗

上関町に原発建設の計画があることが明らかになったのは1982年の6月29日のことです。現在2248人の有権者が暮らす上関町には、当時約6900人の町民が住んでいました。
計画が表明されてから5カ月後、原発建設予定地の目の前に浮かぶハート型の小さな島、祝島で原発に反対するデモが始まります。
祝島には、出稼ぎで福島や美浜の原発で働いたことのある人たちが暮らしていました。計画が浮上してすぐ、彼らが島の家々をまわって原発の危険性を語っていたため、島民は早い段階で原発に反対するようになっていたのです。

そのうちに、島の女性たちが口々に「原発はいらん!」と声を上げながら島の道を歩きはじめました。歩いていると「それはデモというものだから許可を取らなければならない」と言われて、女性たちはその通りにデモの許可を取り、そこから毎週月曜日の反原発デモが始まったといいます(※2)。祝島のデモはこれまでに1300回以上も行われてきました(※3)。
こうして祝島では、子育てに奮闘し、漁や農業にいそしむ「おばちゃん」や「おじちゃん※」たちによる抗議運動が長年続けられてきたのです。

運動は日本全土から賛同者を集めました。
公有水面埋め立ての許可失効を前に、工事を急ぐ中国電力が工事台船を出すなど、激しい攻防があった2009年から2011年(東日本大震災と福島原発事故まで)にかけては、県内外から多い時で約150人が集まり、海上でも若者たちのシーカヤックが祝島の漁船とともに、時には主体となって阻止行動を行っていたこともあったほどです。
今、上関本土と同様に過疎化、高齢化が進む祝島では、反対運動が始まった当時約1100人いた島民も約300人にまで減っています。
※祝島では高齢の島民をいくつになっても「おばちゃん」「おじちゃん」と呼び親しむ習慣があるそう。
「みんなの海じゃ!」田ノ浦の豊かな自然と暮らす

日本最大の内海、瀬戸内海の中でも、類を見ないほどの生物多様性を残す田ノ浦。
海岸の目の前にある山々から栄養たっぷりの水が注ぎ込み、内海の閉鎖性が豊穣な海水を抱きかかえている田ノ浦には、天然記念物のカンムリウミスズメをはじめ、絶滅が危惧されるナメクジウオ、珍しい貝類、水産庁カテゴリーで希少種に分類されるスナメリ、準絶滅危惧種のカラスバトなど、希少な生き物がたくさん生息しています(※4)。

多数の研究者も、これまでに幾度となく田ノ浦の生物生息地としての重要性を指摘してきました。
発電量の約2倍のエネルギーを7度も温められた水で「廃熱」として海に捨てる仕組みの原発ができてしまえば、その影響で生き残れなくなる生き物は多いでしょう。
原子炉に取水された海水は炉内に海藻が生えないように殺生物剤を混ぜてから排水されるので、原発は海水温度だけでなく水質も変えてしまいます。
また、一度事故が起これば、生物を育むのに有利に働いてきた内海の閉鎖性は放射能を前に大きなリスクへと変わります。
この場所に原発が建設されれば、壊されることになるのは世界に誇る生物多様性の宝庫です。

建設に反対する人々に漁師さんや農家さんなど、自然に接して暮らす人々が多かったことは決して偶然ではありません。

自然の大切さをよく知っている地元の人たちの必死の反対運動があったからこそ、田ノ浦は絶体絶命の危機を幾度も乗り越えて、現在の姿で残されているのです。
町に分断をもたらしたものの正体

上関町長選は原発推進派と反対派の対決のように見えるかもしれません。
しかし、福島第一原発の事故後、上関の町民たちは原子力財源に頼らないまちづくりに協力しあってきたのです。
福島原発の過酷事故があって、上関原発建設の準備工事が中断され、エネルギー基本計画からも新増設の記述が消え、その間、推進派は町長選の候補擁立を見送っていました。
町長を務めていた柏原氏は、原発に頼らない政策を進めていて、反対派もその方針を評価して、候補の擁立を見送り、毎回対立が表面化していた町長選も2015年、2019年と無投票となりました(※5)。
しかし、この状況を政府のエネルギー政策転換が一転させます。
未だ解決すらしていない多くの被害をもたらした福島原発事故から11年。岸田政権は、事故の教訓を破り捨てるように、再稼働に加えて、増設や運転期間の延長と、原子力推進回帰へと舵を切りました。
原発利権との決別の道の半ばにあった上関町は、またしても波間に浮く小船のように揺さぶられています。
原発ではなくいのちのために

この町に住む30代以下の若者たちは原発建設の是非を問われる町の姿しか知りません。
生活を人質に取るような残酷な問いかけは、ご近所同士や仕事の仲間、親子や兄弟の間にさえ、埋めがたい溝を生んだといいます。
しかし、本来であれば「原発を受け入れるのか、受け入れないのか」という問いは、日本に住み、電気を使って暮らす私たちみんなで答えを出さなければならないはずの問題です。
「上関原発を建てさせない祝島島民の会」はtwitterでこう呟いていました。
「私たちは《国策としての原発計画》に『NO!』を訴えており、町内の原発推進派のかたがたに反対しているわけではありません。推進派のみなさんとは、町づくりの考えかたが異なるだけであり、上関町の未来を望んでいる気持ちはどちらも同じだと思います。このちいさな町に賛否の対立構図を生んだ中国電力上関原発計画の功罪には反対の気持ちをつよく持っています。私たちは原発のないままの上関町の未来を望んでいるだけです。(祝島島民の会(@touminnokai)twitterより)」
原発は自然を破壊し、行き場のない核のゴミを出し、事故を起こせば取り返しのつかない汚染を招きます。そして、建設の計画自体が白羽の矢を立てられたその地の人々に無用の対立を強いて、傷つけ、疲弊させます。
上関町に押し付けられている過酷な選択は基地建設と同様の差別の構造です。
国の原子力政策、そして上関原発の建設計画の是非を問われているのは私たち全員です。私たち一人一人が意思表示をしなければなりません。
上関という小さな町に犠牲を払わせ続ける原発建設計画、それを進める国、電力会社に向けて声を上げましょう。この記事や町長選挙についての情報をぜひSNSで拡散してください。
上関で行われるのは、みんなの選挙です。
写真:東条雅之
https://inorinoumi.jimdofree.com/
協力:みんなの選挙だ!分断を引き継がない上関町長・町議選挙の輪
参考:
いらんじゃろう!上関原発2022~人も自然も生きものも~オンライントーク
OurPlanet-TV
「もう原発はいらない」上関原発予定地からの報告(3月28日)
出典:
※1:https://www.yab.co.jp/news-list/202210091900
※2:http://www.magazine9.jp/article/womens/14615/
※3:https://www.asahi.com/articles/ASL5H4FKJL5HTZNB00M.html
※4:https://umino-npo.com/post_14/
※5:https://www.asahi.com/articles/ASQB962PJQB9TZNB00F.html