広島市の平和記念公園(2020年7月撮影)

2021年8月、人類史上初めて核兵器が投下された被爆地、広島・長崎は、原爆投下から76年目の夏を迎えました。被爆者が高齢化し、原爆の惨禍が静かに歴史の一部になろうとする中で、両都市や被爆者らは、悲劇を繰り返さないための記憶の継承の努力を続けています。そんな被爆地の努力をよそに、政府はあくまで原発維持にこだわり、東京電力福島第一原発の放射能汚染水の海洋放出を決めました。他ならない日本がいまだに核の呪縛から逃れられないでいる。そんな日本の姿は、被爆者の目にはどう映るのでしょうか。

核・原子力問題の節目だった2021年

被爆者の遺品や原爆投下に関する写真・資料が多数展示されている広島平和記念資料館(2020年7月撮影)

2021年は、核をめぐる問題について、様々な節目が重なる年となりました。

年明け早々の1月22日、核兵器を初めて違法とする国際条約、核兵器禁止条約が発効しました。3月11日には東電福島第一原発事故10年、4月26日には1986年に旧ソ連のウクライナで起きたチェルノブイリ原発事故から35年目を迎えました。また、核兵器禁止条約の前提となった国際司法裁判所の勧告的意見、原爆ドームの世界遺産登録から25年にあたります。

兵器利用と発電という違いはあれど、いずれも人類には制御しきれない核エネルギーが問題の根源にあることに変わりはありません。関連する多くの報道がなされ、改めて核というものは何か、誰もが立ち止まって考える機会になるはずでした。

3月の東日本大震災の追悼式典で、菅義偉首相は、福島第一原発事故の被害についても触れながら、「震災による大きな犠牲の下に得られた貴重な教訓を決して風化させてはなりません」と述べました。ところが、そのわずか1カ月後の4月13日、原発事故は過去のものとばかりに、日本政府は同原発敷地内に保管されている126万トン以上の放射能汚染水の海洋放出を決定しました。夏の東京五輪、秋の衆院選を念頭に、政府が汚染水放出を決定したとすれば、追悼文で読み上げられた「教訓」とは一体何だったのでしょうか。

不誠実な政府と東電の姿勢

平和への願いが込められた長崎市の平和祈念像(2020年7月撮影)

「核の被害者としてこれ以上の被ばく者を生み出すことは容認できない」

政府の海洋放出決定前、被爆者を親に持つ人たちでつくる「全国被爆二世団体連絡協議会」は、2020年10月、2021年4月の2度にわたり、海洋放出を決定しないよう求める要望書を菅首相ほか関係閣僚に提出しました。また、核廃絶を訴える多くの市民団体も、東電に海洋放出を思いとどまるよう申し入れを行っています。しかし、これまでのところ、こうした被爆者の声は顧みられてはいません。それどころか、地元の福島の住民や漁業関係者の声すら届いていません。

これまでの流れを見るに、政府や東電の姿勢は、結論ありきと言わざるを得ません。

政府や東電は放出される水を「処理水」と呼ぶことにこだわります。多核種除去装置(ALPS)で処理済みだから「処理水」だという理屈です。4月には、NHKが国際放送NHKワールドJAPANの英文記事について、「radioactive water(放射能汚染水)」から「treated water(処理水)」に表現を差し替える一幕もありました。一部の国会議員も問題視していたといいますが、現実にALPSでは全ての放射性核種を処理しきれず、水は放射性物質によって汚染されたままです。

「汚染水」に含まれるのはトリチウムだけではなく、ALPSで2次処理をしても取り除けない放射性核種が多数含まれます。よく言われる「海外でもトリチウムは大量に放出されている(のに、日本の原発排水だけを問題視している)」という指摘は、この点を意図的に排除しているといえます。そもそも福島第一原発の汚染水は現在も増え続けており、全くコントロールできない異常な状態にあるのです。

基準値以下に薄めて放出するから問題ない、という論理も根本的な解決策になっていません。たとえ希釈したところで、放出される放射性核種の総量に変わりはないからです。薄めて、時間をかけて放出したとしても、炭素14の半減期は5700年、ヨウ素129は1570万年で、わずかでも放出されれば気の遠くなる長い年月、それらの放射能は環境中にとどまり続けることになります。回避策を十分に検討せず、将来世代に一方的に負担を押し付けるやり方は、あまりにも安易で、無責任ではないでしょうか。

政府や東電の姿勢は、甚だ誠意に欠けるものです。他ならない唯一の被爆国が、国内のみならず世界中の人たちに対して、このような説明を繰り返しているのです。

進む原子力回帰、私たちの選択

負の世界遺産にも登録された原爆ドーム(2020年7月撮影)

原発回帰は着々と進んでいます。

7月に政府が示したエネルギー基本計画の素案では、原発の建て替えこそ明記されなかったものの、引き続き20〜22%の電力を原発でまかなう方針が示されました。福井県では、運転開始から40年を超える老朽原発の関西電力美浜3号機が再稼働しました。汚染水の海洋放出に向けた準備も着々と進んでいます。海底にパイプラインを建設し、1キロ沖の太平洋に放出する計画で、東電は2023年の放出開始を予定しています。

東京五輪開会前、国際オリンピック委員会の会長が広島を訪問しました。被爆者の一人は「通り一遍の行動。オリンピックと平和を結びつける祭典としたいのだろうか」とこぼします。こうした被爆者や市民らの淡々とした反応からは、真に意味ある行動とは見なされていないように思えます。

日本はいま、57年ぶりに自国開催された東京五輪の真っ只中にいます。新型コロナウイルス蔓延下の五輪開催をめぐる賛否両論ムードから打って変わり、メディアは連日競技の詳細を報じ、多くの人々が選手の活躍に胸を踊らせる日が続いています。その熱狂の最中の8月6日、広島は静かに76回目の原爆忌を迎えました。

数多くの命が無差別に奪われた広島、長崎。10年たった今も放射能汚染が続く原発事故。被爆者や被災者が必死に自らの体験を語り継いできたのは、取り返しのつかない災禍を二度と繰り返さないためです。これまで何度も使われてきた「大きな犠牲の下に得られた教訓を決して風化させてはならない」という言葉。その言葉の重さを本当に理解しているのか。どのような未来を残そうとしているのか。私たちはまさにその分岐点に立っているのです。

以上