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原爆投下から原発事故まで

1945年8月6日午前8時15分広島に、8月9日午前11時02分長崎に原子爆弾が投下されました。

原子爆弾は、強烈な熱線と爆風により広島・長崎の地を焼き、吹き飛ばし、放射能により長期に渡って被害が広がりました。その年の12月までに、広島では約14万人の方が、長崎では7万4千人が亡くなったと推計され、その後も放射線の影響でたくさんの方が苦しみ、亡くなっています。

原爆投下から10年もたたない1953年12月、アメリカ大統領が「平和のための原子力」演説をおこない、いわゆる「原子力平和利用」の推進をよびかけ、原子力を発電に使う原発の開発が始まりました。

その4カ月後の1954年4月には、日本の国会が、原子力開発予算を通しました。

そのほぼ10年後の1963年10月、茨城県東海村に建設された試験的な原発が発電をおこないました。

その3年後、最初の商業原発の東海原発がつくられ、1998年まで運転を続けました。東海原発は、運転が終了してから21年たった今も廃炉作業中で、完了は2030年を予定しています。

1960年代から70年代にかけて、東京電力の福島第一原発1〜4号機、関西電力の美浜原発1〜3号機、大飯原発1〜2号機など、次々に原発がつくられていきました。

1979年3月28日にはアメリカでスリーマイル島原発事故が、1986年4月26日にはロシア(ソ連当時)でチェルノブイリ原発事故が起こりましたが、日本政府は高まる脱原発の世論を抑えて原発を増やし続けました。

2011年の3月11日の前まで、日本には54基もの原発が存在し、電力の3割をまかなっていました。

そして、2011年3月11日、東電福島原発事故が始まり、現在も日本は原子力非常事態宣言のさなかにあります。

浪江町で作業中の労働者2018年

浪江町で作業中の労働者 2018年 © Shaun Burnie / Greenpeace

原発は「平和」か

果たして原発は「平和」だったのでしょうか。

わたしはそうは思いません。

事故から8年以上が経過した今でも、4万人もの人々が避難生活を強いられている状況は平和ではありません。

避難区域と避難区域外に分けられ被災者が分断され、区域外からの避難者の住宅支援が打ち切られ、母子避難者の多くが貧困状態にある。それは平和ではありません。

きちんとした放射線防護教育もせずに、現場での放射線防護もおざなりなまま除染作業をさせるのは、平和ではありません。

広島と長崎への原爆投下から74年。東電福島原発事故から8年。

核は、原爆であれ、原発であれ、その存在が平和ではないのです。

今こそ、「原子力の平和利用は幻想なのだ」と声をあげなければなりません。

ありがたいことに、私たちには省エネルギーと自然エネルギーを進めるという選択肢があります。

自然エネルギーに、さまざまな課題があるのも事実です。なので、自然エネルギーがすべて平和的であるとはまだ言えないかもしれません。

でも、私たちは、自然エネルギーを平和的に、環境に配慮しながら、地域の経済発展につながるよう利用する術をすでに持っています。

立地周辺の住民とよく話し合って、合意の元に進めること。

環境影響評価をしっかりとおこなうこと。

立地から廃止措置まで、情報公開・透明性を確保すること。

ウィンドファーム

自然エネルギー100%はすでに私たちの手の中に

世界で唯一、戦争で原爆が投下された国であり、東電原発事故という史上最悪の原発事故に襲われた国である日本こそ、核を捨てるべきです。より平和なエネルギーである自然エネルギーを最大限に活用して、自然エネルギー100%の社会をリードできるはずです。

四国では、四国電力が2018年5月20日10時から12時に自然エネルギー100%を達成し、
九州でも、九州電力が2018年5月3日12時台に自然エネルギー96%を達成しています(くわしくはISEPのこちらのサイトへ)

自然エネルギー100%の社会はすでに私たちの手の中にあります。

グリーンピースは、1971年の米国核実験への抗議活動から誕生した団体です。反核は私たちのアイデンティティです。グリーン(自然豊か)でピース(平和)な社会をめざし、これからも核廃絶を求め、脱原発、自然エネルギー100%の社会を実現ために活動を続けていきます。