8月29日は核実験に反対する国際デーです。
1991年8月29日にカザフスタンにあった旧ソ連最大規模のセミパラチンスク核実験場が閉鎖されたことを記念して、2009年に国連で採択されました。*1
よく「日本は唯一の被爆国」といわれます。でも、核実験はいまも、世界各地で行われています。実験場となった地域で拡散される環境破壊と人権侵害は、終わっていません。

東西冷戦で激化していった核兵器開発競争

1942年にアメリカで始まった核兵器開発は、第二次世界大戦終結を経た東西冷戦体制の中で、旧ソ連、イギリス、フランス、中国、インド、パキスタンへと広まっていきました。
現在は上記7カ国に北朝鮮、イスラエルを加えた9カ国が、合計およそ13,400発もの核兵器を保有しています。*2核実験はこれまでに2,056回行われ、うち528回が大気圏、つまり地上で実施されました。*3

1954年3月1日、ビキニ環礁で行われた水爆実験。

その被害が明るみに出たのは1954年3月1日、アメリカ軍が太平洋のビキニ環礁で行った水爆実験がきっかけです。
このとき、近隣で操業中の日本の漁船、1,423隻が被ばくしました。*4そのうちのマグロ漁船・第五福竜丸が静岡県・焼津港に帰港して、被害が大きく報道されたのです。乗組員たちは、爆発で一瞬にして粉々になり空中に巻き上げられたサンゴの灰を全身に浴び、火傷や頭痛、嘔吐、目の痛みや歯茎からの出血、脱毛といった症状を呈していました。全員が急性放射線症と診断されて入院、半年後に、無線長の久保山愛吉さんが亡くなりました。*5

核保有国は、軍事機密として核兵器開発についての情報をほとんど開示していません。当時は、広島や長崎で被ばくした人々の健康被害の実態についても、一般にはまったく情報共有がなされていませんでした。
世界に衝撃を与えたビキニ事件を端緒として、1955年に初めての原水爆禁止世界大会が開催され、実質的な反核運動が始まったのです。

2005年、広島への原爆投下60周年のグリーンピースのアクション。

人の健康を蝕む核兵器

広島大学原爆放射線医科学研究所が2002年7月に発表した報告書では、「広島・長崎における放射線被曝と疾患の発生率との因果関係については、これまでに詳細な疫学的検討が行われており、原爆放射線により悪性腫瘍(白血病、甲状腺癌、乳癌、肺癌、胃癌、大腸癌、多発性骨髄腫)、副甲状腺機能亢進症、白内障等の疾患発生率の増加が認められている」*6としています。

一方で、核実験によって汚染された地域での公的・体系的な健康調査はあまり行われていません。すなわち、核実験での被ばくによって健康を蝕まれた人々の被害と実験との相関関係が、きちんと立証されていないのです。

実験場周辺では、半径約100キロもの範囲にわたって、毛髪や歯が抜けおちる、関節痛、高血圧や心臓病、甲状腺異常、皮膚がんなどのがんや精神病、異常出産、死産、流産といった健康被害が住民を苦しめています。
水頭症、脳性麻痺、先天性四肢欠損症、視覚障害、てんかんなど、先天的に重度の障害をもった子どもたちが、何世代にもわたって生まれています。*789
実験に従事した兵士たちさえ、実験によって何が起こるかを知らされていませんでした。実験後に周辺でとれた食べ物や飲み水によって内部被ばくした彼らも、がんや高血圧や変形性関節症など、放射線障害とみられる疾病を発症しました。*10

しかし、実験による被害への補償は、到底十分とはいえません。
たとえ補償金が支払われても、故郷を放射能で汚染された住民が、実験前の生活を取り戻すことは決してできないのです。*11

核実験をやめさせたい

グリーンピース号の乗組員たち。1971年。

核実験の被害者は人間だけではありません。

実験で鼓膜を破られたラッコの死骸が、アメリカ・アラスカ州アムチトカ島の海岸に流れ着いていることを知ったカナダの平和活動家たちは、自ら実験場に出向いて、直接、実験をやめさせる計画をたてました。
1970年、その旅の船をチャーターする費用を調達するためにバンクーバーでロックコンサートを開催。
趣旨に賛同したジョニ・ミッチェル、ジェームス・テイラー、フィル・オクスらが出演し、そのチケットの売上で借りた船で、1971年9月15日、12人の活動家たち*12が出航しました。

グリーンピース号と名づけられたその船は、アメリカ沿岸警備隊に制止され実験場までたどり着けませんでしたが、活動家たちは諦めることなく次の船を手配し、改めて出航しました。ところが現場に着く前の11月6日、アメリカ軍は実験を実施。活動家たちの船は、その実験を止めることはできませんでした。

それでも、彼らのしたことは決して無駄ではありませんでした。
翌1972年、アメリカは核実験の中止を発表したのです。

核実験で汚染されたロンゲラップ島の島民を避難させるグリーンピース。1985年。2カ月後、この活動船・虹の戦士号はフランスの諜報機関によって爆破され、フォトグラファーが犠牲になった。

1971年の航海から誕生したグリーンピースは、それ以後も核実験をやめるよう世界中に訴え、実験で被ばくしたマーシャル諸島ロンゲラップ島の島民を避難させるなどの行動を続けてきました。

そしてついに1996年、包括的核実験禁止条約が国連で採択されたのです。
核兵器保有国を含む44カ国が批准していないため、いまも未発効ですが、包括的核実験禁止条約機関の監視観測所の整備は進んでおり、すでに世界に321カ所が設置されています。*13

始めるよりやめる方が難しいこと

核兵器は一度つくってしまったら、そう簡単には廃棄できない兵器です。
核兵器を保有するということは、軍事的脅威を手にするだけでなく、保有国と近隣諸国との間の政治的関係性にも大きな影響を与えます。
いまウクライナに侵攻しているロシア軍が核兵器使用の可能性を示唆しているように、*14核兵器はただそこに存在しているというだけで、平和と安全を脅かすのです。

13,400発もの核兵器を全部爆発させたら、人類を何度でも全滅させることができます。*15
そんな兵器が、なぜ、必要なのでしょうか。
それだけの核兵器を、いつ、誰が、何のために使おうというのでしょうか。

核兵器があるから、緊張状態の国際関係を安全に保つことができる、という意見も聞かれます。
けれど、ほんとうに人々の生活を、地球を安全に保つためなら、核兵器はすべて廃棄されなくてはならないはずです。

核開発をやめること。
核実験をやめること。
核兵器の保有をやめること。

それは、核兵器をつくるより、調達するよりももっと、難しいことかもしれない。
ただ、もし、世界中の誰もが、みんなで胸を張って力いっぱい「やめよう」と声を上げる勇気をもてたら、実現できるかもしれない。

地球上の核の最後のひとつをなくす日が、きっとくると信じて。

アメリカ・ネバダ州の核実験場でのアクション。1992年。

グリーンピースに寄付する

グリーンピースは政府や企業からの援助をうけず、
独立して環境保護にとりくむ国際NGOです。
大切なあなたの寄付が、
グリーンピースの明日の活動を支えます。

*1: 国際平和拠点ひろしま:核実験に反対する国際デー
*2: 国際平和拠点ひろしま:世界の核兵器保有数(2021年1月現在)
*3: The Arms Control Association ‘The Nuclear Testing Tally’
*4: しんぶん赤旗 2015年2月22日(日)「ビキニ核実験 被災は1,423隻 文書に記載 紙議員に水産庁初めて提出」
*5: 都立第五福竜丸展示館
*6: 国際平和拠点ひろしま:核実験に反対する国際デー
*7: 日本原水協『核実験の影響、女性の視点』会議の報告(1995年4月24日、ニューヨーク)より
*8: NATIONAL GEOGRAPHIC 2017.10.23「核の亡霊――世界の核実験の4分の1が行われた土地は今」
*9: 広島大学「セミパラチンスク核実験場近郊被曝証言の日本語版全文データベース化」
*10: 全日本民医連 2002年7月11日「イギリスの核実験 被害はまだ闇の中フイジー核実験被ばく兵士の健康調査を行って」
*11: 一般社団法人太平洋協会「ビキニアンの現在 - 核実験補償をめぐる戦いと社会経済開発 -」
*12: 「グリーンピース・ジャパンNEXT 100 PROJECT」を始動
*13: ISCN Newsletter No.0304 April, 2022
*14: 毎日新聞 2022/4/28「プーチン氏、核使用改めて示唆『他国にない兵器、必要な時に使う』」
*15: 広島市ウェブサイト>よくある質問>原子爆弾(原爆)はどのような爆弾なのですか