グリーンピース・ジャパンのサイトや報道などでご存知のとおり、9月6日の青森地裁判決は懲役1年、執行猶予年の有罪を言い渡す不当なものだったため、佐藤と鈴木は即日控訴しました。

日本の司法の限界を示す残念な結果でしたが、控訴プロセスとともに、国際人権規約の第一選択議定書(国連に対する個人通報制度)を批准する国内手続きも進みそうなので、"人権の秘境"状態に風穴を開けることができるかもしれません。

下記に昨日配信のメールマガジン「GREENPEACER」の関連部分を引用します。

少し補足すると、引用中の事務局長所感でも触れている、国民主権下での"民主"司法とはどうあるべきかに関する無理解は許しがたいと感じました。民主社会においては政府三権(立法・司法・行政)も第四権(メディア&NGO)も国民・市民の海に浮かんでいるわけで、とりわけ国民・市民の税金を使って政府が行う事業について、司法は政府に限りなく厳しく、国民・市民の側に立ってチェック機能を果たすことを求められるはずです。しかし、行政府に属する検察官も、司法の国民窓口ともいえる地方裁判所の裁判官たちも、そんなことは教えられたことも考えたこともないようです。司法教育における人権、とくに国際人権法の重みを大幅に増す必要があるのではないかと思います。

▼ グリーンピース・ジャパンのプレスリリース

http://www.greenpeace.or.jp/press/releases/pr20100906t2_html

▼ 事務局長所感、市民社会の声など(メールマガジン9月7日号より抜粋)

http://greenpeace.or.jp/pipermail/greenpeace-vision/2010/000252.html

▼「ニュースの深層・番外編」(9月3日@ロフトプラスワン)見られます

http://www.ustream.tv/recorded/9320916(前半)

http://www.ustream.tv/recorded/9322481(後半)


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クジラ肉裁判の青森地裁判決を受けて

グリーンピース・ジャパン事務局長 星川 淳

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2年あまりにわたるクジラ肉裁判の第1ラウンドが終わりました。懲役1年、執行猶予年の不当判決に対し、グリーンピース・ジャパンの佐藤と鈴木は即日控訴しました。ここまで応援してくださった皆さま、本当にありがとうございます。

青森地裁は、「従来の調査捕鯨活動において一部不明朗な点があった鯨肉の取り扱い」が、「被告人らが本件鯨肉の存在を公表したのを契機に見直された」ことをはっきり認めながら、一方で税金を使った国営事業におけるその"不明朗"さを明朗にしようとする努力、つまり市民・国民の「知る権利」とジャーナリストやNGOの「知らせる責任」を一蹴しました。

日本ではじめて真正面から問われた国際人権(自由権)規約上の「表現の自由」についても、"違法は違法"という初歩的で形式的な判断から一歩も踏み出しませんでした。裁判長は佐藤と鈴木が「捜索・押収に類する」行動をとったことを非難し、また入手したクジラ肉を捜査機関(東京地方検察庁)に届ける前に公表したことが盗みを構成する一要素だと決めつけています。

これは二人の逮捕直後、私が青森地方検察庁で事情聴取を受けたとき、開口一番「NGOの分際で捜査機関さえ令状がなければできないことをやったのは許せない!」と吐き捨てた検察官とそっくりです。国(公権力)がやることに国民・市民は口も手も出すなという、民主主義の真逆の発想ではないでしょうか。捜査機関を裁判所の令状で縛るのは、国(公権力)による市民生活の不当な侵害を防ぐためであって、その論理を市民活動に当てはめようとすること自体が、国民主権に対する底知れぬ無理解を示しています。

今回のようなケースで公共の利益に注目する場合、佐藤と鈴木を罰することによって得られる公共の利益と、二人の行為を容認することによって得られる公共の利益とを天秤にかけ、どちらがより民主的な社会につながるのかを公正・公平に吟味するのが司法本来の仕事だと思いますが、青森地裁がその責任を果たした形跡は見当たりません。国際人権(自由権)規約は、「国内法に違反する」というだけの理由で表現の自由を制限してはならないと定めています。

判決を傍聴するために来日したグリーンピース・インターナショナルの事務局長クミ・ナイドゥは、南アでアパルトヘイトと闘った生い立ちを踏まえて、「この判決こそ市民権と人権に対する窃盗行為だ」と語気を強め、「内部通報者の命がけの情報提供に応えた二人の道義的な行動は、ネルソン・マンデラやマハトマ・ガンディやルーサー・キング牧師の系譜に連なるもの」と述べたうえで、日本政府に対し、この裁判で浮き彫りになった捕鯨船団内の不正について、独立機関による調査を行うよう求めました。

クジラ肉裁判の第2ラウンドは、仙台高等裁判所に進みます。今回の判決が示すとおり、まだまだ"人権の秘境"状態にある日本の民主主義を進化・深化させるために、いますぐグリーンピース・ジャパンのサポーターになってください。この裁判を一緒に闘いましょう!

▼ 日本にグリーンピースのようなNGOが必要だと思う方、ぜひご支援をお願いします。

https://www.greenpeace.or.jp/ssl/support/supporter_form_html?gv

▼ クジラ肉裁判判決:入廷から控訴まで――青森現地ビデオ
http://www.youtube.com/user/greenpeacejapan


1┃判決について日本の市民社会から

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この判決を受けて、日本の市民社会から批判の声が湧き上がっています。


刑法という狭い国内法の枠内で判断するのでなく、より上位の憲法の価値基準、そして国際人権法の水準に沿った判決を裁判所に望むことは、現在の日本社会では許されないのだろうか。

刑法によって守ろうとした価値とそれを形式的には犯してでも守ろうとした価値を比較して実質的な違法性を判断することは、違法性阻却レベルでは可能なはず。そうした実質的判断のために刑法は単に形式的に構成要件に該当するだけでなく個別の事案に即した違法性阻却判断を予定している。

この事件のような問題が刑法レベルに矮小化されることなく、大きな憲法価値のレベルで議論される社会でありたい。ごく当たり前に憲法価値が裁判所、マスコミ、そして市民のレベルで行動原理となる日が来ることを切望している。

                 ――伊藤 真(伊藤塾塾長・弁護士)





今回の判決については、法的にさまざまな批判を加える余地がある。しかし最も重大なことは、今回の判決が、NGOやジャーナリズムの正当な調査活動に対する、刑罰による威嚇だということである。結果として、公権力が関わった犯罪行為などの告発に対しても、萎縮効果が生まれてしまうことになる。グリーンピースの活動家二人の話ではない。これは、日本のNGO活動に対する挑戦である。

――寺中誠(アムネスティ・インターナショナル日本、事務局長)



ふたりの行為が調査捕鯨の不明朗な慣習を白日の下に晒した功績は認めても、不法侵入と窃盗の「罪は罪」、ただそれだけのことしか言わない判決は、司法が市民の自由や権利を擁護して社会をすこやかな方向に変えていく使命を放棄し、六法全書と起訴状をつきあわせてあてはまる答を見つけることでよしとしていることを物語るものでしかありません。これでは市民の表現の自由が萎縮するし、その前に司法が萎縮しています。

――池田香代子(作家・翻訳家、世界平和アピール七人委員会)





日本の裁判所が裁かれたような判決だ。ぼくら自身も無意識のうちに人権意識が萎縮していた。日本の常識が世界の非常識であることを知らせていく良い機会だと思う。最終的には国連人権理事会への通報にもつなげてほしい。

                         ――鈴木邦男(評論家)






2┃世界各地から「知る権利はゆずれない!」の声

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クジラ肉裁判の判決が伝わると、全世界40カ国の日本大使館前で市民の知る権利を求める声が上がりました。アメリカ、イタリア、ノルウェー、台湾など20カ国以上で行われたアクティビティをスライドショーでご覧ください。

▼ スライドショーはこちら

http://www.greenpeace.or.jp/?gv