一昨日と昨日の昼すぎまで、2月に続いて青森地裁でクジラ肉裁判を傍聴した。そのあと東京に戻り、夜はCS朝日ニュースターの「ニュースの深層」で上杉隆さんと重信メイさんのゲストとして生出演――上杉さん・重信さん、楽しかったです!

 

話題をいろいろ振られたため(映画『コーブ』やシーシェパードのことはグリーンピースの活動と直接関係がないので、個人的な見解を述べただけの蛇足)、テレビ生出演に期待してくださったみなさんには、肝心の裁判の一番ホットな部分まで話しきれなくて申し訳ない。

 

一つ私自身が突っ込み足りなかったのは、クジラ肉裁判について「ジャーナリストやNGOが公共の利益のために形式的な違法性に踏み込んだとき、違法性によって失われたものより公共の利益のほうが大きければ違法性は阻却されるべきだし、そのような判例が近年、ヨーロッパ人権裁判所などで数多く積み上げられてきている」というテクニカルな側面より、むしろもっと積極的に「政府三権を監視する第四権を構成すべきジャーナリストやNGOが、政府・公権力の不正を見つけたとき、そのことを社会に知らせる責任を放棄していいのか」という部分だ。日本国憲法の「表現の自由」は規定があいまいだが、日本も30年以上前に批准している国際条約である国際人権(自由権)規約の「表現の自由」は、すべての情報を求める自由と、それを受け取る権利、そして受け取った情報を知らせる責任まで含めて万人に保障している。とくに専門性と継続性をもって調査を行うジャーナリストやNGOは、この「伝える責任」が大きい。

 

日本のようにマスコミが政府・公権力に対する監視責任を放棄しているに近い社会では、独立系のジャーナリストやNGOが第四権の役割を担わざるをえなくなる。とりわけ、大手マスコミの編集委員クラスが軒並み「水産庁と同じ見解だからグリーンピースと話したくない」という信じがたい立場を表明する捕鯨問題に関しては、メディアが存在しないに等しい。つまり、今回のクジラ肉裁判は、メディアに代わって国策事業の不正について「知らせる責任」を果たそうとしたグリーンピースの手を、国家権力が縛ろうとする暴挙をこそ問うものなのだ。しかもその暴挙に対し、国連人権理事会の「恣意的拘禁に関するワーキンググループ」が、佐藤と鈴木の逮捕と勾留は世界人権宣言と国際人権規約に違反するし、市民が政府の不正を追及する権利は保障されるべきだと、日本政府に異例の勧告意見を伝えていることから、青森地裁の判決より前に国際法廷での判断が下されたともいえる。

 

健全な第四権力が存在しなければ、司法も検察も含めて政府三権は腐敗する。記者クラブ制度によるジャーナリズムの自殺を批判する上杉さんと、20世紀後半以降、NGOもメディアとともに第四権の責任を分担していると考える私とは、そこで問題意識が重なる。「新聞なき政府と政府なき新聞のどちらを取るかと問われれば、迷わず後者と答えるだろう」と明言したトマス・ジェファーソンと同じ立場だ。もちろん、ジェファーソンが少し誇張気味に強調する「新聞」の役割とは、健全なジャーナリズムでありメディアであり、機能する第四権力を指している。

 

前置きはともかく、「ニュースの深層」の続編として、クジラ肉裁判第2回と第3回(午前のみ)公判の雑感を記す。

 

 

●     弁護団も被告人2人も証人たちも一生懸命なのに、検察官の投げやりとも取れる脱力ぶりは何なのか? これには説が二つあって、一つは国策を背景に何もしなくても勝てるから舐めてかかっているという観察。私もそう思い込んでいたが、第3回公判を傍聴した人権や内部通報に詳しい弁護士は、「(検察官が)勝てる裁判ではないと弱気になっている」という正反対の見立てだった。若い検察官にとって、地方の検察庁でこういう話題性のある裁判に勝てば出世に役立つから、勝てるものなら張り切るはずだという。たしかに、そもそもクジラ肉裁判の組み立て自体、検察側がクジラ肉の箱を送った当人の「所有権」を争わず、たんに宅配業者の集配所からグリーンピースの2人が箱を持ち出した「占有権」の侵害しか争わないことにしたのは、クジラ肉の箱の送り主である調査捕鯨船団乗組員の「所有権」を問題にすると、船員たちの業務上横領をはじめパンドラの箱を開けるように不正の数々が明るみに出ることを恐れた、後ろ向きの姿勢の表われかもしれない(検察側はすべての証拠を見ているわけで、この裁判の“筋”が良いか悪いかわかるはず)。が、公判の蓋が開いてみると、検察側証人までボロボロと不正を裏づける証言を口にし、まさしくパンドラの箱が開いてしまった。検察官の元気がないのは、そのせいだろうか?

 

●     調査捕鯨母船の元乗組員が証言台に立った第2回公判(3月8日)のハイライトは、「“土産”用の塩蔵ウネスは、若いクジラの柔らかい上質肉を使う」との証言。これは2月の初公判で共同船舶幹部が証言した、「“土産”は製品化した残りの切れ端で、2級品の肉から作る」という話とまったく矛盾する。しかも、製品化工程以前の段階で抜き出してしまうというのだ。極上の肉を選んで自分たちの土産にしているとしたら、税金で行う国営事業においては国民への背信行為だし、これ自体が国際捕鯨取締条約違反だろう。公判に入って次々と新しい不正が明らかになる、驚くべき展開である。

 

●     第2回公判のもう一つのハイライトは、グリーンピース側の告発を受けて水産庁が共同船舶と日本鯨類研究所に命じたとされる内部調査(2008年7月16日付け「鯨肉をめぐる問題についての報告書」)は、まともに行われていなかった可能性が出てきたこと。佐藤と鈴木が確保したクジラ肉一箱の送り主に、自分は要らないからとウネスを譲渡したとされる最重要証人が、「共同船舶からこの件で連絡を受けたことはない」と証言したのだ。確実にどちらかがウソをついている。

 

●     第3回公判(3月9日)の注目点は、グリーンピースに不正の情報提供をしてくれた元捕鯨母船乗組員(グリーンピースの告発レポート『奪われた鯨肉と信頼』に登場する情報提供者とは別)が語気を強めた、「“土産”の塩蔵ウネスは水産庁と(捕鯨推進議員連盟メンバーと思われる)国会議員たち向けにも、はっきり仕分けて作られていた」との証言。繰り返すが、毎年税金が注ぎ込まれ、国際社会で激しい批判を受ける“科学調査”のはずの国営事業でこんなことをしていたら、これだけで大スキャンダルだ!

 

●     そして第3回公判のもう一つの仰天証言は、販売価格キロ1万2000円(末端市場価格はもっと高い)もする「尾の身」という最高級部位を、捕鯨母船に同乗する日本鯨類研究所の職員が自分用に持ち帰っていたこと。研究用の「サンプル」との口実だが、あまりの量にデッキで働く解体作業員たちが怒り出すほどだという。よく考えてほしい。税金で行われる国営事業において、水産庁は監督官庁だし、鯨研は随意契約で水産庁から事業を受託し、共同船舶に事業計画を実施させる上部組織で、やはり監督責任がある。いったい何をやっているのだ、この人たちは!

 

●     情報提供者は、佐藤と鈴木が追及したクジラ肉の横領が明らかに行われていたことを認めた上で、とにかく調査捕鯨船団内でのモラル低下がひどすぎて、「なんでもやりたい放題」の状態であることに警鐘を鳴らすために、グリーンピースに情報提供をしたし、困難と身の危険にもかかわらず証人に立ったと語った。商業捕鯨時代と調査捕鯨時代にまたがって40年近く捕鯨に従事したこの人は、商業捕鯨の再開を望むが、いまのようなモラル崩壊状態では、調査捕鯨の存続さえ危ぶまれると考えて、グリーンピースの2人の勇気ある行動に報いるべく、自分も一歩踏み出したそうだ。

 

このほかにも、書ききれない矛盾点、新しい疑惑、不正の新ネタが続出!

 

最後に、第3回公判から佐藤潤一の被告人質問に入ったが、そこで浮き彫りになった人物像が下記でも伺える。青森に来られなかったみなさんも、ぜひ一読を。

 

マガジン9条「ぼくらのリアル★ピース」佐藤潤一インタビュー

http://www.magazine9.jp/realpeace/02/index1.php

http://www.magazine9.jp/realpeace/02/index2.php