みなさん、こんにちは。マモさんことエネルギーチームの関口です。

暑い日が続く中、さらに皆さんに胃がキューっとするお知らせを伝えねばなりません。

2015年8月11日 午前10:30、私が立っていた目と鼻の先で九州電力の川内原発の1号機が再稼動しました。あと1カ月少しで日本中の全原発が停止し、丸2年になろうというタイミングでした。

残念で、悔しくてなりません。

今日は、私が立ち会った川内原発再稼動、そしてそこで出会った人々の想いをみなさんと分かち合いたいと思います。

命以外の「別の何か」に価値を置く現代

再稼動直前の8月8日〜9日、川内原発をのぞむ久美崎の浜では、「ウェル亀ロックフェスティバル」という、ウミガメ保護と音楽のイベントが行われていました。地元、日置市のラッパーや沖縄のグループなど多彩な出演者の中に、2013年に参院選に出馬したミュージシャン・三宅洋平さんがいました。夕暮れの浜で、ギター片手に誰とでも気さくに話す三宅さんにお話を伺いました。

 
(c)Masaya Noda / Greenpeace

印象に残ったのは、三宅さんの仰る「原発再稼動の問題を考えるときに私たちに欠けているのは、『人以外の全てのいのち』」という視点でした。

「5000分の1の確率でしか還ってくることのないウミガメが産卵に戻ってくる海辺に建つ川内原発。事故が起きた時の避難計画や被ばくの問題を考える時に、人権の問題からさらに見方を大きく広げて、逃げられもせずただそこにあらねばならない自然と、そこに生きる全ての命にとって原発が不必要な脅威です」


写真:8/8深夜に産み落とされたウミガメの卵

命よりも「別の何か」に価値を置き過ぎている現代、虫や動物の命もふくめて、いのちを軽視しがちな日々のあり方が原発の問題にも繋がっていると感じた時間でした。

教え子の痛み

起動前の集会では、多くの方がマイクを手に話をされました。特に胸を締めつけられるような話をされたお一人が、福島県大熊町に住んでおられた木幡(こわた)ますみさんです。東日本大震災のあった当時、塾の講師をされていた木幡さん。大熊町で大勢の方が亡くなられている現状を話してくださいました。肺がん、病気、そして自殺・・・。

自分の周りの人の痛みを、ご自分で負うように語られるお話から、収束も、検証もされていない福島第一原発事故のもたらした痛みが溢れてくるようでした。


写真:集会で語る木幡さん

特に胸を打ったのは、震災直後、津波到達の前に原発から逃げてきた塾の教え子が語ったという言葉。

原発で働いていたその教え子の方は木幡さんに「先生、ここはもうだめだ。原発は配管がむちゃくちゃになってる。○○が下敷きになった。助けられなかった」と言ったそうです。友人を置き去りにせざるを得なかった教え子、置き去りにされた教え子。その痛みに直面された木幡さんの痛み。どれだけ多くの人が東電福島第一原発事故の痛みの中で生きているか、命を落とされたのか・・・。

川内原発を再稼動させたのは誰?

再稼働の審査書を了承しながらも「再稼動判断は事業者と経産省がすべきだ」という原子力規制委員会、「規制委員会が厳しい判断をしたから・・・」と言う宮沢経産大臣、「事故の時には国が責任持つと約束し、規制委員会が安全性を確認したから」と言って再稼動に同意した鹿児島県の伊藤知事・・・みんな責任を誰かに押しつけるような発言ばかりです。

再稼働の責任を一体誰に問うたらいいのか?安倍政権?九州電力?原子力規制委員会?鹿児島県知事?

(c) Masaya Noda / Greenpeace

心の中に渦巻く疑問符を見つめながら夕暮れの久美崎海岸を歩いていたときに、偶然のようにお会いしたのが、水戸喜世子さんでした。東日本大震災を機に反原発の活動をしている水戸さんは、長崎で式典に参加されたのち、薩摩川内に来られたそうです。穏やかな面差しで水戸さんはこう話されました。

「広島、長崎と川内は繋がっていますから。私たちが曖昧にして放置していたことのツケが、今回ってきているんだと思うんです」


(c)Masaya Noda / Greenpeace

あー そうか・・・ 

改めて、ピンときました。

再稼動を可能にしてしまったのは、選挙で再稼働をすすめる政党に政権を握らせてしまったのは、これまで無批判に東京電力の電気を使い続けてきたのは、自分の親だったり、いや、自分自身なんじゃないか?と。

原子力規制委員会の適合審査、鹿児島県知事の同意、安倍政権の原子力政策、九州電力、原子力ムラ・・・。今回の、不必要かつハイリスクな再稼動の責を問うべき相手は次から次へと出てきます。そして、住民、国民を危険にさらすその責任は問われるべきだと思います。

しかし、同時に、あの選挙の時、家族や親族に脱原発を働きかけられなかった自分、それ以前「どうせどこが政権握っても変わらないから」とか、「原子力ってどうなんだろ?」と思いながらもそんな心のうずきにフタをして考えないようにしていた過去の自分がいる。そして、子どもが生まれ、原発事故が起こってからやっと自分ごとに考えるようになった自分。

「今のこの状況が起きることの片棒を、自分も担いでいたんだ」

水戸さんの言葉から、新ためて自分の中にこの現実を創り出していたものがあった事に気づきました。

そして、再稼働の現場に立ち会って、自分にもその責任があったことを自覚した今、なおさら今日あげた「再稼動反対」の声を、自分のものとして、あげ続けていきたい。そう思ったのでした。

「子どもを守ろう!地球を守ろう!未来を守ろう!ふるさと守ろう!川内原発再稼動反対!」

 

 

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