© Jeremy Sutton-Hibbert / Greenpeace

生まれ育った家、お気に入りの自転車、誇らしい想いで飾った息子の絵、振袖姿の娘が満面の笑みでおさまった七五三写真、大切に育てた花々…

愛着と営みの結晶のようなその全てが「汚染された」と言われたら、そしてそこから全てを置いて離れなければならないと言われたら、その時あなたはどう感じるでしょうか?

想像に耐えない痛みや喪失感を抱えて4年半以上を過ごしている人が何万人と残されている・・・福島で今なお続いている現実を見るたびにいたたまれない気持ちになります。

 

今日のマモさんブログは、7月に続きこの10月に放射線調査のために訪れた福島県飯館村で聞いた人々の思いをみなさんと分かち会いたいと思います。

 

 

山辺沢 Tさん

飯館村の山辺沢という地域にお住いのTさんは、生花農家。ちょうど母の日に向けてお花の出荷準備を進めていた矢先に福島第一原発事故が起こりました。東北や関西などから受けていた注文は全てキャンセルとなりました。

避難生活4年目になる今、小さなお孫さんをもつお子さんのご一家とは別々に、それぞれ村外に家を購入されたとのこと。避難指示が解除になっても飯館の家に戻る予定はないと言います。

たくさんの花で埋め尽くされていたであろう温室のすぐ前の地点で測った放射線量は、地面近くでは毎時23マイクロシーベルト。これ程線量が高いホットスポットはごく小さな範囲なのですが、それ以外のすでに除染されたはずの家の周囲のほとんどで、時間あたり1~3マイクロシーベルトを計測しています。環境省が最終目標としている数値よりも平均で10倍は高いことになります。

家の前には、植えたわけでもないのに以前育てていた花が咲き誇っていました。それはまるで、Tさんが育てた花々が「忘れないで」ーーそう言っているかのようでした。

 

 

土と生きる 菅野さん

飯館村の中心部にお住いだった菅野さん。フェイスブックで550,000回以上の再生をいただいている「再稼働より、償いを。」と題した動画の中でもインタビューに答えてくださっている方です。ご自身の名刺に「土と生きる 日本の百姓」との肩書きを持たれているくらい、土を大切に育て、野菜を育てて暮らしていらっしゃいました。ご自宅の敷地にも畑をお持ちでしたが、その大切に大切に育てた土は、除染のため剥ぎ取られ、他所からの土で覆われました。

 

帰還のための試験的除染実施区域として事故後比較的早い段階に除染を終えたものの、放射線量は十分に下がらず、今年4月に2度目の除染をしました。

 

森林に囲まれた住宅が多い飯館村の中では、むしろ環境からの再汚染は少ないと想像される地区なだけに、再除染がされていることは私たちにとっても、驚きでした。

 

「この家はもう取り壊す。時々帰って来るときのために、小さな小屋でも建てようとは思ってるんだ。壊す前に記録として写真撮っておこう。」そう言って思い出の詰まったご自宅にカメラを向けられていました。はやり、福島市に住まいを移される予定であるとのことでした。 

お宅の中を拝見すると、そこにはお子様ご家族の写真や、ご子息が小学生時代に描いたセミが元気に羽ばたいている絵などがそのままに飾られています。この家で過ごされた日々のたくさんの思い出。通常であれば問題なく人が住めるはずのお宅を、目に見えない放射能汚染によって取り壊さざるを得ない現実。それを決断される住人の思い。彼らにはそうしなくてはならない非などないにもかかわらず・・・

 

小宮地区 三浦さん

三浦さんも広い土地に田んぼや畑、温室などを所有しておられた方です。「帰ってきて住むつもりはない」というそのご自宅は、しかし真新しい床が敷かれリフォームが終わっています。

 

なぜ帰って住むつもりのない家をリフォームされたのか?三浦さんはこう話されました。

「この家は、ご先祖さまから俺の親父が受け継いで、それを俺が引き継いだ家なんだ。事故の前は4世代が身を寄せるようにして、一緒に暮らしてきたんだ。でももうバラバラになって4年も経つと、もう小さい子を戻してまで一緒に住もうとは誰も思わない。

だけど、ご先祖様の仏壇はここにあるんだ。それはどこかへは動かせない。横浜に越した娘も、今度墓参りのために戻ってくる。ご先祖様から受け継いだ土地は、汚染されたからって、簡単に放ってしまって、どっかへ行けるようなものではないんだ。住みはしないけれど、週に何度かは来て、手入れをしようと思ってるんだ。そうして、皆が墓参りにもどってきたりした時のためにも、この家はきちんとしておかなくてはならないんだ。」

 

人と土地が、いかに強く結びついて今に至っているのか…

人と自然がいかに深く関わって今の暮らしが営まれてきたのか…

今回お話を伺った方々はみな、「避難指示が解除になっても飯館に住むことは考えていない。特に、小さな子どもは返してはいけない」と話されました。

そしてまた、同じようにみな口を揃えて「この土地は捨てない。この土地を守り続ける」とも。

人々の暮らしを支えて、抱くように広がっていた飯館村の森と土。

今、その土地は除染のために剥ぎ取られ、膨大な量の放射性廃棄物を詰めた袋を置く「仮置き場」がいたるところに広がり続けています。膨大な人員を投入して、除染作業員の方々が被曝の危険と隣り合わせに作業し続けているにもかかわらず、その効果は十分な結果に結びついてはいません。

目の前に広がる美しい森。

この森を、放射能汚染を気にせずに歩き、水に触れ、大地に寝転び、山菜、木の実、きのこなどの恵みを味わえた日々が失われてしまったこと、その回復には途方もない年月を要すること、そして、それが福島の森とともに暮らしてきた人々にとってどれほど大きな喪失であるかを思う時、同じような出来事が、もう二度と起こらないようにと願わずにはおれません。

被災者の生活、除染のための労力と費用、自然環境への影響、放射性廃棄物、未来への負債…

原発がもたらしうるものと比べると、事故による代償は余りにも大きすぎることを福島の地を訪れるたびに痛感します。原発事故を経験し、2040年には自然エネルギー100%を目指している福島県。自然エネルギーへの転換が世界中で進む今、私たちの選ぶべき道はもう決まっています。

自然エネルギー社会へ。そのためには原発に投資はしない。そのために私たちができるアクションの一つが「とめよう再稼働」の声を上げ、束ねていくことです。ぜひ参加、シェアください!

今回の放射線調査の結果のうち、福島市内での測定結果を「放射能測定室 シルベク」のページにて公開しています。どうぞご覧ください。

飯館村民の約半数にあたる方々が、ADR(裁判外紛争解決手続き)申し立てを行っています。菅野さんも申し立て団の副団長をつとめてらっしゃいます。ぜひ応援してください!詳細はこちら


菅野さんや、7月にご紹介した安齋さんも関わっておられるプロジェクト「負げねど飯館!」。
飯館の方々の生の声に触れることができます。詳細はこちら