ポール・ワトソン氏はシー・シェパードの創設者であり、グリーンピースの初期メンバーでもあります。ワトソン氏はマスコミや自身のウェブサイトでグリーンピースに対して批判を繰り返してきました。以下の情報は、ワトソン氏とグリーンピースとの関係と、双方の意見の相違をご説明するものです。(文中敬称略)

ポール・ワトソンは1971年、アラスカのアムチトカ島沖での核実験に反対するグリーンピースの第2次遠征隊のメンバーとしてグリーンピースで活動するようになり、捕鯨やタテゴトアザラシ猟に反対する行動に参加しました。 彼は影響力のある初期メンバーでしたが、グリーンピースの創設者ではありません。

1977年、11対1の投票結果によってワトソンはグリーンピースの幹部グループから追放されました(反対票を投じたのはワトソン自身のみ)。

ボブ・ハンター(グリーンピースの初期の指導者の一人)は、著書『Greenpeace Chronicles』の中で、この出来事についてこう述べています。(日本語仮訳)

「誰も彼(ワトソン)の勇気を一瞬たりとも疑わなかった。彼は偉大な戦士であり仲間だった。しかし、グリーンピースのゲシュタルト(姿・かたち)から見ると、彼はあまりにも強い衝動に取り憑かれているように見えた。自分を前面に押し出し、他の皆を脇に追いやろうとする、あまりにも容赦ない欲望に……彼は一貫して他の事務局を回り、反乱者の役割を演じていた。彼は行く先々で分裂を引き起こしていた……私たちはみな、誰も見たくなかった蜘蛛の巣に捉えられたと感じていた。しかし、そうなってしまった以上、斧を振り下ろすしかなかった」

グリーンピースとシー・シェパードに関する混同

ワトソンは1977年に自身のグループ、シー・シェパードを設立しました。

上記の各捕鯨船は、捕鯨を継続するために修理され、改装されました。

2008年の『ニューヨーカー』誌の記事で、ワトソンはシー・シェパードが創設以来10隻の船を沈没させたと主張していますが、記者はその数を確認することができなかったと懐疑的な見方を示しています。

ワトソンとシー・シェパードの活動は、しばしばグリーンピースによるものと誤って、あるいは意図的に混同され、平和的な直接行動を理念とするグリーンピースの名誉や評判を傷つけ続けてきました。

グリーンピースは捕鯨船を沈めることはありません。

環境保護に消極的なグループの中には、少数の極端に過激な環境保護活動が暴力や妨害行為を行うことがあるという事実を利用して、環境保護活動全体に「テロリスト」の烙印を押そうとする者もいます。そのような試みのひとつは、1992年、ノルウェーの裁判所によって明確に非難されています。

シー・シェパードやワトソンは広報活動において、グリーンピースの活動方針や職員、支援者に対する攻撃を行ってきました。それらはしばしば不正確で、真実でないことがちりばめられています。ワトソンは、1977年にグリーンピースにとって終わった戦いを、いまだ一方的に継続しています。

ほとんどの場合、グリーンピースはワトソンの批判には反応しません。 シー・シェパードのやり方には賛同できませんが、環境保護を目指す者同士の分裂の話は、私たちを団結させる真の問題から目をそらすものであることも分かっています。そして私たちは、メディアが捕鯨について書く際には、真の問題について書いてくれることを望んでいます。ワトソンは熱心な反捕鯨活動家ですが、グリーンピースへの攻撃を常々支持しており、それらの攻撃のなかには捕鯨者らによるものもあります。

非暴力へのコミットメント:私たちが協力しない理由

ワトソンはグリーンピースに対し、捕鯨船団の所在を明らかにするよう、あるいは南極海でシー・シェパードに協力するよう、何度も公の場で要請してきました。

グリーンピースは鯨類を含めた海洋生態系の保護を切に望んでおり、平和的にその実現を目指しています。私たちはシー・シェパードに協力しません。グリーンピースは非暴力主義を貫いており、いかなることがあろうと、それを変えることは決してありません。もしシー・シェパードが捕鯨船団を発見するのを手助けしたとしたら、私たちはその情報に基づいたシー・シェパードの行動に責任を負うことになります。シー・シェパードが、過去に地球上で最も危険な海域で暴力を行使したことは歴史が証明しています。グリーンピースにとって、非暴力は譲れない大切な原則です。グリーンピースは鯨類を含む海洋生態系を守るために行動を続けますが、捕鯨船を攻撃したり危険にさらしたりすることは決してありません。

捕鯨とグリーンピースの活動

9世紀にはバイキング、17世紀にはイギリス、オランダ、デンマークなどがクジラの油を求め捕鯨を開始しました。また、古くから日本、アラスカやインドネシアなどでも沿岸での捕鯨(古式捕鯨)が行われていました。

日本はノルウェーから技術を学び、1934年から南極海で捕鯨を始めました。南極海での捕鯨は、ノルウェー、英国、ソ連、日本などが1940年代から1960年代後半にかけて競うように実施し、その結果、大型のクジラが20年足らずで絶滅の危機に瀕するまでに減少しました。

このため、乱獲への反省と鯨類の保護を目的に、1986年に商業捕鯨は世界で禁止されることとなりました。しかし、この中止の抜け穴を使った捕鯨や、そもそもこの決定を無視して行っている捕鯨、この中止の当てはまらない捕鯨などがあり、現在も捕鯨は続いています。

日本による南極海での捕鯨は、税金を使って「調査」の名目で行われてきました。世界で唯一、日本が「調査捕鯨」を続けてきた南極海は、国際的に合意された「南極海クジラ保護区」です。このため、国際的に大きな批判を受けてきました。グリーンピースも、海洋生態系保護の観点から商業捕鯨に反対し、南極海クジラ保護区での日本による「調査捕鯨」に反対の立場をとり、活動を行ってきました。

そのなかで、2008年5月15日、グリーンピース・ジャパンは、内部告発による情報提供者の証言をもとに、捕鯨船日新丸から大量の高級とされる鯨肉の部位が「段ボール」や「塩漬け」と書かれた個人の手荷物に偽装され、乗組員の個人宅宛に横領されていたことを暴露しました。グリーンピースのスタッフ(当時)佐藤潤一と鈴木徹は、ある住所に送られた4つの箱のうち1つを捕捉し、その中に11〜35万円相当の鯨肉が入っていることを突き止め、東京地検に証拠として提出しました。

彼らの記者会見は日本中の注目を集め、検察はこの告発を「完全に捜査する」と約束しました。

しかし約1カ月後、船員たちによる横領疑惑は十分な調査をされないままに不起訴処分となり、同日、佐藤と鈴木は鯨肉の入った箱を盗んだ容疑で逮捕されました。「クジラ肉裁判」について詳しくは、こちらをご覧ください。

2010年12月、水産庁が記者会見を開き、調査捕鯨船の運航会社である共同船舶株式会社から水産庁の職員が鯨肉を受け取っていたとして謝罪するとともに、関与した職員5名を懲戒処分としたことを発表しました。

2018年、日本政府は国際捕鯨委員会(IWC)から脱退し、南極海での調査捕鯨は行われなくなりました。