1997年6月12日/アテネ、午前11:30(GMT)、ギリシャ・エネルギー省のバッソ・パパンドレウ大臣は記者会見を行い、アモコ・エンロン・ソーラー社(米国)提案によるクレタ島の50メガワット発電所の最初の5メガワットについて資金援助の承認を発表した。
添付資料:[クレタ島を太陽光発電の島へ]キャンペーン

総投資額は、$17,750,000で、ヨーロッパ連合(EU)とギリシャ政府は、主要な費用の55%を資金提供する予定。同社の太陽光発電事業は、今後毎年9メガワットずつ増設し、2003年までには、最終的に50メガワットに達するという計画がギリシャ政府に提案され、完成すると世界最大規模の太陽光発電所となる。
大臣は、同時にエネルギー効率の良い電球への転換を国内全土で進める計画も発表した。

環境保護団体グリーンピースは、95年10月からギリシャ政府に対し、新規の石油火力発電所の建設中止を求め、太陽光エネルギー導入増加を目指す[クレタを太陽光発電の島へ]キャンペーンを二年間行ってきた。
ギリシャの政治家、自治体、太陽光への投資に興味がある企業などに働きかけ、96年6月には実際に、グリーンピースがクレタ島でのミーティングに招待したアモコ・エンロン・ソーラー社がギリシャ政府に計画案を提出した、という経緯がある。

また、グリーンピースは、太陽光発電の可能性を島の住民に示すデモンストレーションを行ったり、グリーンピースの所有する船で島の学校に太陽光パネルを運ぶなど、現地で様々な活動を行ってきた。これらが今回の太陽光発電所建設への実現のきっかけとなった。

午後1:00(GMT)、エネルギー省のパパンドレウ大臣は、[地中海ソーラーキャンペーン]ツアー中でアテネに停泊中のグリーンピースの船シリウス号に赴き、グリーンピースのボード事務局長とミーティングし、記者会見を行った。
グリーンピース・インターナショナルのティロ・ボード事務局長は、ギリシャ政府の発表を受け、
「クレタ島の太陽光発電所は、その規模と投資額の点で、これまでの太陽光発電について常識を破るものであり、太陽光の時代はもはや将来の夢ではなく、現実のものである」と述べた。

エンロン社のこの事業に続き、英国石油(BP)が、この10年間で10億ドルまで太陽光電池の売上を増加させると最近発表した。
グリーンピースは、このような一連の業界の動きを、化石燃料から太陽光エネルギーへの投資の方向転換が可能であるという、明確なシグナルとみなしている。

クレタ島の太陽光発電所は、50メガワットが完成した時点で、現在イタリアにある世界最大の太陽光発電所(3.3メガワット)の15倍の大きさの規模で、現在の市場の平均費用の4分の1となり、クレタ島の人口の8分の1にあたる約100,000人近い人々へ電力供給が可能となる。
同社からギリシャ政府に提出された事業計画では、最初の5メガワットで、提案されている費用は、現在のところ8.5セント/kWhである。
日本では、1992年度末で40円/kWh、2000年での目標は30円/kWhである(新エネルギー法より)。

*1:Photovoltaics in 2010. European Commission/Directorate General for Energy 1996

*2:Summary Report, Photovoltaics: On the Verge of Commercialization by UPVG (Utility PhotoVoltaic Group), June 1995
グリーンピースは、「Plugging into the sun - kickstarting the solar age in Creta」(太陽にプラグを入れて:クレタ島でのソーラー時代の幕開け)という報告書を本日発表した。
この報告書は、クレタ島キャンペーンの背景の詳細、地球規模での太陽光発電のトレンド、太陽電池の費用、50メガワット太陽光発電がもたらす影響の分析、クレタ島は、ヨーロッパに新たに294,000人の雇用が生まれる*1 という意味でも太陽光発電市場創出の突破口の役割を果たす、ということなどを盛り込んでいる。
また、「世界中で、この太陽光発電所の8倍にあたる発電所を建設したとすれば、270億ドルの市場*2 と数十万人の雇用が出現可能である」とされている。

今年12月の京都で行われる気候変動枠組み条約第三回締約国会議(COP3)で、法的拘束力をもった温室効果ガス削減に関する取り決めが行われる。
グリーンピースは、2005年までに1990年レベルから二酸化炭素の排出を少なくとも20%削減すること、化石燃料の使用の段階的廃止、特に新規の石油採掘を中止するための交渉開始の必要性を主張している。

グリーンピースの
「クレタ島を太陽光発電の島へ」キャンペーン

1995年10月
グリーンピースは、クレタ島において計画のあった新規の石油火力発電所の建設を中止し、太陽エネルギー資源の導入を増加させるため「クレタ島を太陽光発電の島へ」キャンペーンを開始する。

1995年11月~96年3月
グリーンピースは、政治家、地方自治体、太陽光の投資に興味のある会社、そして石油火力発電所に反対する地方団体を招待し、クレタ島で多くのミーティングを行う。

1996年4月
グリーンピースは、エネルギー省の玄関にあるシャンデリアの電球をエネルギー効率の良い電球に変えるという、アクションを行い、グリーンピースが政府に対しエネルギー効率の良い電球への転換を国内全土で進める計画を要請した。
エネルギー大臣は、6月にパイロット計画の発足と、この計画は、アエジーン諸島での無料提供された効率の良い電球転換を発端に全国的に展開することを発表する。

1996年6月
電力会社が、クレタ島で電球交換計画を開始する。 品質の高い設計ではなかったが、45,000の電球が最初の5ケ月間で交換された。そして電力会社は、この計画を継続拡大していくことを、約束する。

1996年6月
アモコ・エンロン・ソーラー社は、クレタ島に太陽エネルギーに投資するためにグリーンピースに招待された企業の内の一社だが、具体的に50MWの太陽光発電所の事業計画をギリシャ政府へ提案を行う。これは、ギリシャでの工場建設のオプション付きである。この時政府の反応は、中立のまま。

1996年6月~7月
グリーンピースが所有している世界最大級の移動型太陽光発電装置「サイラス」(トラック)が、太陽光の可能性を示すためにクレタ島を周遊する。数千人の地元の人々がサイラスを訪れる。太陽光エネルギーで発電した電力で、11のコンサートが行われた。サイラスは、ギリシャで最初の太陽エネルギーを発電し、テレビとラジオ放送を行った。
グリーンピースは、再生可能エネルギーとエネルギー効率技術のみで、動力が供給できる島にするための提言を行う。 しかし電力会社は、太陽光発電は競争力がなく可能性もないと発言し、新規の石油火力発電所の建設を支持する。

1996年9月
グリーンピースは、エネルギー効率の良い電球への転換計画の拡大するため、クレタホテル協会との共同プロジェクトを開始する。グリーンピースは、政府の全国的な太陽光発電システムの設置のための入札参加を、世界の太陽電池会社に対し働きかける。

1996年10月
風力タービンの羽根ががらくたのなかに発見され、10MWの風力発電所二ケ所が三年間使用されないでいるなどの電力会社の1995年からのスキャンダルが再度暴露された。電力会社は、この風力発電所(風力公園)を1997年に再開すると約束する。

1996年10月~11月
グリーンピースの船アークティック・サンライズ号は、太陽光発電への転換を要請するためクレタ島を訪れる。同時に陸側では、石油火力発電所へよじ登り、訴える。その翌日には、船で太陽光発電システムを石油火力発電所が建設される予定のグドウラスまで運び、学校に設置する。これは、ギリシャにおける最初の太陽光発電で電気を供給される学校である。

1996年12月
グリーンピースは、家庭用の太陽光発電の手引書を発表。500人以上の人が、太陽光発電システムを設置することに興味を示すが、ギリシャ政府からの支持は依然としてない。

1997年2月
グリーンピースは、政府の税金に関するスキャンダルを暴露し、再生可能エネルギーのコストを30%だけ下げるための税金控除を立法化するのを働きかける。

1997年3月
グリーンピースの招待に続き、新しく設立されたアモコ・エンロン・ソーラーの子会社で、ギリシャのIWECOソーラー社が、クレタ島での50MWの太陽光発電所内の最初の5MWのための提案を行う。同社は、地中海沿岸、中東との境界、そして北アフリカの国々の政府の役人に接触を開始する。ギリシャにおける太陽電池の工場建設への可能性を調査する。

1997年4月
グリーンピースは、太陽光発電に興味ある市民への動機を与えることを目的として、1998年末までの1,000件の屋根に太陽光を設置するという計画をギリシャ政府へ提案する。

1997年6月
50MW発電所の最初の5MW部分について、資金援助の承認をする。