EV時代の到来② 企業向けEVサブスクサービス「Hakobune」
この投稿を読むとわかること
「ガソリンから電気に変わることでプラスαの価値の創出を」
通勤用EVの普及を目指すHakobune
今年4月に設立された株式会社Hakobune(東京都千代田区)は、全国の企業を対象に、社員の通勤のための電気自動車(EV)、職場での充電設備をサブスクリプション方式で提供するという新しい形のビジネスを展開しています。また、EVと充電施設のサブスクにとどまらず、地域のエネルギーを最適な形で管理することや、地方から都市へという一方的な人の流れを見直し、日本全国どこでも豊かな生活ができる環境をつくることを目指す会社です。
会社を立ち上げ、代表取締役/CEOに就任した高橋雅典さんに、モビリティーの考え方、現在の事業展開や将来の展望について伺いました。
個人所有よりも「共生」の価値観へ
Hakobuneは、企業に対して、従業員がEVを使って通勤できるサービスを提供しています。サービスを受ける会社は事業所に設置する充電器とセットでEV車両をHakobuneからサブスクリプション方式で提供を受けます。また、再生エネルギーを使って充電できるように、事業所へ太陽光発電設備を設置するサポートもしています。
地方では電車やバスよりもマイカー通勤が一般的ですが、個人が自分の車で通勤するのではなく、会社が持つEVで通勤する、というのは斬新なアイデアです。どのようにして着想したのか、高橋さんに質問してみました。
「背景にはいくつかの考え方がありますが、一つは、物事をポジティブに捉えることです。気候変動は深刻である一方、人間が経済活動を行う以上、炭素排出など地球へダメージを与えてしまう、という考えだと生活そのものがつまらなくなります。生活がポジティブなものになるためには、地球にプラスになることを前向きに捉えたい。現代の人間の生活は『競争』にとらわれていますが、本来、日本の伝統社会には『共生』の思想がある。ひとつのものでも個々人のオーナーシップにこだわらずに皆で共有、シェアしたほうがよいよね、という考え方です。『共創』の概念とも言えるでしょう。日本で約2千5百万台の車が通勤用に使われているわけですが、『ここまでは会社のもの、ここからは私のもの』という区分の仕方にこだわる必要が果たしてあるのか、という問いもありました」
確かに私たちを楽しく豊かにしてくれる行動が同時に地球環境にも優しいということであればより共感を生み、実行しやすくなるはずです。
脱炭素の潜在性が高い通勤用の車
2020年の国勢調査結果によると、日本の15歳以上の就業者・通学者約6千万人の利用交通手段割合は、自家用車が最多で、46.5%となっています。都道府県別では、この割合は北陸や東北地方で最も高く、8割近くに達する県もあり、一方で東京では自動車を通学・通勤に使う人の割合は1割以下、という結果になっています。(注1)
HakobuneのEVサブスクを導入する会社の導入動機は大きくわけて2つあるそうです。ひとつは、脱炭素化(GHGプロトコルにおけるスコープ3の削減)の施策として導入するケース。もうひとつは、職員の福利厚生の一環として、会社で勤務している間に充電することで従業員の交通費負担を減らすことです。それによって会社がより多くの人材を引き寄せ、定着してもらうことにつなげるという狙いです。
また、Hakobuneは、EVを電池として使用することを通し、地域における最適なエネルギー管理を実現することも目指しています。日中、太陽光で発電した電力をEVに蓄電しておけば夜間にその電力を使うことも可能です。自治体の脱炭素計画や戸建て住宅販売で、「V2H」という言葉を目にすることが多くなりました。V2Hとは、「Vehicle to Home」のことで、自動車と住宅を接続することを指します。EVのバッテリーに蓄電された電力を、家の電気として使うことですが、それ以外にもEVの電池をキャンプや災害などの非常時に利用する可能性も最近は注目を集めています。このようにEVを単なる移動手段に限定せずに多目的な可能性が提唱されているのは日本の特徴です。
日本のモビリティーの将来像
モビリティーを議論する際に、課題としてしばしば指摘されるのが、公共交通機関が整備された都市部と高齢化で人口減が続く地方の格差です。これについて高橋さんは、以前、福島県でのモビリティー事業に関わっていたため、課題については常々難しさを感じているそうです。一方で、都市と地方という区分した考え方でそれぞれに対する解を見つけようとすることの限界もあるのではないか、と考えています。
「電車、バス、タクシーの3つは重要な乗客サービスでこの3つの役割は今後も変わらないでしょう。これらを自然エネルギーで動けるようにして、いかに人を運ぶための商品化をしていくべきか。細かい移動のためにはさらに自転車、キックボード、自動車なども必要になります。仕事やレジャーなど目的にあわせて最適な移動手段がバランスよく選択できてかつ使用できるようにする。これは都市部でも地方でも共通のことであり、日本全体でどうやって実現していくかというビジョンが求められています」
モビリティーのあるべき姿が描かれて、それに向かう道筋が明らかになることによって、都市と地方の格差も縮小されていく、という考えです。また、生活の豊かさや便利さにさほど格差がない状態になれば、地方から都市へ一方的に人口が移動していくこともなくなるはず、と高橋さんは語ります。
また、効率性や費用を考えているだけでは限界があるでしょう。EVを含めてモビリティーを単なる移動手段と捉えてしまうと、とりあえず乗れるものでいい、安くて済むものでよい、という考えに陥ってしまいます。EVは、車としての移動だけではなくて、移動する電源、と捉えれば、多様な機能をこなせます。私たちの生活の一部になることでより多くの可能性を秘めた手段です。そこから得られるものは必ずしも貨幣換算できない価値もあることでしょう。
日本のEV普及率はなぜ低い?
高橋さんによると、現在政府が提供しているEV普及のための補助金は恵まれているほう、とのことです。補助金は、中央、都道府県、市町村の3つのレベルで提供されており、その規模は年々拡大されてきました。
それにもかかわらず、なぜ日本のEV普及率はここまで低いのでしょうか。世界全体で新車販売台数に占めるEVの割合は10%以上、政策的にEVへの誘引を積極的に行っている国ではより高い割合です。日本は技術大国であるのにここまで低いのは、やはり「覚悟が足りないからではないか」というのが高橋さんの考えです。
さらに、日本の自動車会社が抱える悩み、課題も理解する必要があります。高橋さんは、大半の自動車会社にとって、EVへの完全転換は「難易度が極めて高い」と捉えています。自動車会社はこれまで、長い企業では100年前後に渡って、すべてのビジネス展開を内燃機関を中心に回してきました。それに紐づくバリューチェーンを守りながら全く異なる、新しいパワートレインに転換していくというのは並大抵のことではありません。ほぼゼロからEVを生産してきている会社とは、単純に比較して語ることは無理があるでしょう。(注2)(注3)
さらに、例えば欧州連合(EU)では、内燃機関車の販売禁止年が設定されており、自動車会社はほぼ自動的にそのゴールに向かって進んでいくわけですが、日本では内燃機関廃止期限は必ずしも明確に決められていません。企業自身がゴールを設定するように委ねられており、それに伴う困難もある、と高橋さんは指摘します。
30年後の地球を見据えて
「EVが生活にあることでみんなの生活が豊かになる」という新しい考え方がより広がっていくために企業も市民団体も力をあわせて発信していく必要がありますね、と高橋さんは話してくれました。
さらに、「人間は、モノには厳しいが人には優しいのではないか」と指摘します。現代の人々の多くは、地球を「モノ」と見なし、人に接するような優しい態度を取ることは少ない。高橋さんは、「自分の大事な人がこれから20年後、30年後に置かれた地球の状態を考えることも必要なのでは?」と問いかけるそうです。
今年は記録的な猛暑でしたが、仮に30年前に気候変動に対するアクションがあったら、今年の夏の天気は違っていた可能性があります。今、私たちが取るアクションは30年後の地球の状況を変える可能性がある、という思いを持つことが必要です。
日本は、今、政府、企業、一般市民のすべてが脱炭素という新しいルールを突きつけられている状況にあります。この脱炭素を新しいチャンスとポジティブに捉えて先に進んでいくことができるかどうか、日本の創造性の発揮しどころではないでしょうか。
(聞き手 気候変動・エネルギー担当、塩畑真里子)
(注1)総務省統計局の統計情報を参照。
(注2)バリューチェーンとは、企業における各活動を価値創造のための一連の流れとして把握する考え方のことです。原材料調達から製造、流通、販売を経て販売後のサービスにいたるまで、それぞれの事業活動が役割や機能を持ち、価値を創出します。ビジネス活動全体として生み出す価値は、活動ごとの価値を単純に合計したものではなく、これらの価値が相互作用によって最適化された連鎖(チェーン)する価値(バリュー)と捉えることを指します。これに対してサプライチェーンとは、製品の原材料、部品の調達から販売に至るまでの一連の流れを指し、自社にとどまらず、他社(サプライヤー)をまたがるモノの流れも含みます。
(注3)パワートレインとは、車の動力源となる装置のことで、内燃機関(ガソリンやディーゼル)、電気モーターなどが挙げられます。また動力ユニット単体をパワートレインと呼ぶ場合もあります。