©Ryohei Kataoka/Greenpeace
©Ryohei Kataoka/Greenpeace

原発事故から12年。今年は福島にとって重要な年になります。原子力政策の大転換、汚染水の海洋放出、汚染土の再利用など、福島を取り巻く多くの課題が一気に動こうとしています。これまでグリーンピースの調査にご協力くださった方々を中心に、現在の状況を聞きました。原発事故を繰り返さないこと、事故の被害者を支え、エネルギー政策による被害者をこれ以上つくらないために、写真と共にお届けします。

福祉関係の仕事をしてきた菅野みずえさんは、2008年から浪江町津島にある夫の実家で暮らし、原発事故当時は大熊町包括支援センターで福祉士として働いていました。2010年に母屋のリフォームが半分終わり、わずか8ヵ月後に原発事故で避難を余儀なくされました。福島県内の仮設住宅を経て、2016年から家族と兵庫県で暮らしています。福島第一原発から菅野さん宅までは直線距離で約27km。高濃度に汚染された帰還困難区域となりましたが、特定復興再生拠点として除染がおこなわれ、2023年3月31日に避難指示が解除されます。

▼この記事を読むとわかること

>解体は苦渋の決断
>避難指示解除
>自分たちは見棄てられた
>明日はみなさんの番
>汚れた水を流す危険性
>原発がいらない7つの理由
雪の降るなか親族の墓に墓参り ©Ryohei Kataoka/Greenpeace
雪の降るなか親族の墓に墓参り ©Ryohei Kataoka/Greenpeace

解体は苦渋の決断

浪江町から福島市へと続く国道114号線沿いの津島地区に、菅野みずえさんの自宅があります。

菅野さんは、「通り門」、「稲穀場」、「蔵」を公費で解体してもらうことに決めました。

通り門は築150年以上で歴史的価値が高く、保存したいと考えてきましたが、長年の風雨や、野生動物、泥棒の侵入、相次ぐ地震などで建物の劣化が激しく、倒壊するリスクが高いことから、解体することを決めました。

解体は作業員を被ばくさせることでもあり、家族と悩みましたが、苦渋の決断でした。

避難指示解除以降の解体は個人負担になりますが、菅野さんの家は通常の解体費用に加えて、解体後に放射性物質として取り扱われる費用だけで約750万円と試算されました。

解体の時期は未定ですが、早ければ年内にも解体作業がおこなわれるかもしれません。

左は稲穀場、後方が通り門 ©Ryohei Kataoka/Greenpeace
左は稲穀場、後方が通り門 ©Ryohei Kataoka/Greenpeace

中庭にあるイトヒバの木を伐採するかどうか、家族でまだ悩んでいます。

樹齢110年を経たイトヒバ3本は、伐採するときに作業員をどれだけ被ばくさせるか、

燃やされたときにどれだけ濃縮した灰を出し、煙となって濃縮された放射性物質を出すのか。

燃やされることなく110年の古木として、机などに加工されたら? ずっと蓄えられた放射線を出し続けないか、それが不安なのです。

母屋には壁一面の大きな神棚があります。

町の文化財にしてもらうことを検討しましたが、認定されませんでした。

リフォームしたばかりだった築190年の母屋は、解体せずに残すことにしました。

歴史的価値の高い荘厳な神棚 ©Ryohei Kataoka/Greenpeace
歴史的価値の高い荘厳な神棚 ©Ryohei Kataoka/Greenpeace

避難指示解除

「家も街並みも全部なくなりました」

久しぶりに津島を訪れた菅野さんは、解体が進んだ景色を見て、風景の変化に驚きました。

まるで別の町のように家々が解体され、どこに何があったかわからなくなっているのです。

更地になった土地には、避難解除の一年後から約6倍の税金がかかります。

原発事故で土地を追われた上に、手放さざるを得なくなる住民が出るのです。

菅野さんの敷地の復興拠点としての除染は終了しました。

津島地区の除染はまだ継続中ですが、2023年3月31日に避難指示の解除が決まりました。

浪江町役場津島支所(旧つしま活性化センター)の隣に、復興住宅・津島住宅団地10戸が新たに造られました。

入居者には、元の住民だけでなく移住者も入ると見込まれています。

 原発事故当時の話をする菅野みずえさん ©Ryohei Kataoka/Greenpeace
原発事故当時の話をする菅野みずえさん ©Ryohei Kataoka/Greenpeace

自分たちは見棄てられた

「なんでこんなところにいるんだ。頼むから逃げてくれ。30kmを越えて遠くへ逃げてくれ」

原発事故直後、誰かわからないが、男の人がやってきて、ここは危ないと教えてくれました。ガスマスクのようなマスクを付けて、防護服を着ていました。

その人は、ここが放射能汚染で危険だということをわかっていました。

マスクの下でも泣いているのがわかりました。

自分たちは危険なところに放置され、見棄てられたのです。

避難途中のスクリーニングで、来ていた上着に放射線のカウンターを当てると、針が振り切れました。

手のひらも振り切れました。

分厚いビニール袋に上着を入れて、1週間は開けるなと言われました。

3月14日、基準が10万cpmに引き上げられました。

愛犬は測ってもらえませんでした。

「プツプツとした赤い発疹が出て、痛がゆかったです。安いスプーンを舐めているような金気臭いにおいがずっとしていました」

菅野さんは、2011年3月12日から金気臭さを感じていました。

避難所では下痢が続き、周囲の多くの人も似たような症状だったといいます。

「下痢はお腹が全く痛くないものでした。食べ物を口にすると押し出されるように下痢をするのです。それが不思議でした」

母屋のリビングには、2011年3月のカレンダーが掛ったままになっている 
©Ryohei Kataoka/Greenpeace
母屋のリビングには、2011年3月のカレンダーが掛ったままになっている ©Ryohei Kataoka/Greenpeace

郡山の体育館に避難すると、嘔吐したり、胸を押さえてうずくまる人がたくさんいました。

放射線の急性障害ではないかと思っていますが、確かなことはわかりません。

水が断水していて、シャワーも浴びられませんでした。

ようやくスクリーニングでOKが出て、許可証をもらって夫の出稼ぎ先である大阪に避難しました。

夫は大阪の福祉施設の職員で、2011年3月に退職して津島へ帰る予定でしたが、原発事故で生活が立ち行かなくなると困るため、大阪で仕事を継続することにしました。

ところが、二本松に避難した津島の人から電話があり、避難所が大変だから帰ってきてほしいと言われ、二本松に戻りました。

「夏になって津島に戻ると、一部の山肌の木の葉が、黒くなって落葉していました」

高濃度の放射能汚染の影響ではないかと菅野さんは考えています。

菅野さんは、2016年に避難者検診で甲状腺がんが発見され、手術を受けて摘出しました。

初期被ばくとの因果関係については、突きとめられていません。

国は放射線安全キャンペーンで、被ばくについて軽視していますが、内部被ばくの危険性はとても大きいのです。

中庭のイトヒバの古木 ©Ryohei Kataoka/Greenpeace
中庭のイトヒバの古木 ©Ryohei Kataoka/Greenpeace

明日はみなさんの番

若い人に伝えたいことは、「国は本当に危ない時には見捨てる」ということです。

講演で自身の避難の状況を説明し、「(原発事故は)明日はみなさんの番です」と話をしました。

裁判(福島原発刑事訴訟、原発賠償裁判原、発差し止め裁判など)の支援活動をしています。

しかし、東京電力も国も無罪となり、誰も責任を取らないひどい判決が相次いで下されています。

普通なら原発の製造者責任を問われるはずですが、裁判官はいったいどこを見ているのかと、憤りを感じます。

老朽原発を制御しているコンピュータは、スマホより古いのです。

そして、同じ電力会社が造る新しい原発が安全ということは決してありません。

原発を動かす限り、核のゴミも出続けます。

阿武隈山地の山あいにある津島の冬は厳しい ©Ryohei Kataoka/Greenpeace
阿武隈山地の山あいにある津島の冬は厳しい ©Ryohei Kataoka/Greenpeace

汚れた水を流す危険性

「汚れた水を流すことがどんな影響を及ぼすか、考えればわかるでしょう」

菅野さんは、汚染水の海洋放出について強く反対しています。

「濃い物は沈殿して、濃いまま海を漂い、魚や海産物に蓄積され、食物連鎖を通して人体に入ります。減塩のためといって、濃い味噌汁を薄めて2杯飲んでいいということはありませんよね。なぜ汚染水は薄めて流して大丈夫なのか」

原発に明るい未来はありませんでした。

12年経っても3万人以上が避難しています。

「『百聞は一見にしかず』ですが、よく調べてから浪江を見に来てほしい」といいます。

原発事故前の豊かな暮らし、家があったこと、除染されたこと。すべてが解体されて、いま見てもわからなくなってしまったからです。

過去の歴史をわかるように伝えることが必要です。

人のいない津島保育所の屋根でサルの群れが日向ぼっこ ©Ryohei Kataoka
人のいない津島保育所の屋根でサルの群れが日向ぼっこ ©Ryohei Kataoka

–取材を終えて
後日、津島を通りかかると、菅野さんの家の周囲に野生のサルが30頭ほど群れをなして走り回っている光景を目にしました。12年間、人がいない集落は、サルの棲み家となっています。すぐそばの保育所では、数頭のサルが日向ぼっこをしていました。電柱をいともたやすく登り、電信柱を伝って走り回っています。避難解除されてここに人が戻り、動物と共生する生活が、まもなく始まろうとしています。

原発がいらない7つの理由

理由5:原発は最もコストの高い電源
原発は、建設費用に数千億円がかかりますが、福島原発事故以降に安全対策工事が義務付けられ、原発1基で追加工事費用が数千億円にのぼるケースもあります。また、原発事故時の30km圏内避難など事故リスク対応費用、核燃料サイクル費用なども加算すると、太陽光、陸上風力、中水力などより発電コストが高くなると試算されています。さらに、福島原発事故の事故処理費用は、経済産業省の試算で21.5兆円、民間では81兆円という試算もあります。従来の日本政府による発電コスト計算は、建設費用や事故被害額、安全対策費用が低く見積もられています。こうした試算を加えると、いまや原発はコストが最も高い電源となっています。


(理由1〜7を他のインタビューで紹介しています)

(文・写真 片岡遼平)

【プロフィール】 片岡 遼平

幼少期から人権問題をはじめ社会活動に参加。高校から社会人まで生命科学の研究(染色体・遺伝子)に従事しました。2011年3月、東日本大震災直後から岩手・宮城・福島の支援活動を続け、その後も各地で発生する災害等の支援活動をしています。また、フォトジャーナリストとして、新聞・雑誌等への執筆や講演もおこなっています。2022年からグリーンピースジャパンでエネルギー・原発問題を中心に担当。多岐の課題に取り組んでいます。

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