汚染水が環境に影響ないなら、管理する必要はないはず ー小野春雄さん

原発事故から12年。今年は福島にとって重要な年になります。原子力政策の大転換、汚染水の海洋放出、汚染土の再利用など、福島を取り巻く多くの課題が一気に動こうとしています。これまでグリーンピースの調査にご協力くださった方々を中心に、現在の状況を聞きました。原発事故を繰り返さないこと、事故の被害者を支え、エネルギー政策による被害者をこれ以上つくらないために、写真と共にお届けします。
新地町の釣師浜漁港で漁業を営む小野春雄さん。東日本大震災の津波で釣師浜の集落ごと自宅を流され、漁師だった弟は船といっしょに津波にのまれて亡くなりました。東京電力福島第一原発事故の放射能汚染の影響で、12年経った現在でも漁は「試験操業」の状態です。政府は福島第一原発に貯溜している汚染水の海洋放出を決定し、この春以降に海洋放出へ踏み切ろうとしています。
▼この記事を読むとわかること >海洋放出で本格操業ができなくなる >あと30年我慢しろというのか >子々孫々この地で漁をする >海は命の生命線 >止めて、保管して、待つべき >再稼働はおかしい >原発がいらない7つの理由 |

©Ryohei Kataoka/Greenpeace
海洋放出で本格操業ができなくなる
1月下旬、夜明け前の新地町・釣師浜漁港で水揚げする漁師の小野春雄さんを訪ねました。
時折雪が舞う寒さの中、小野さんの漁船・観音丸は、水揚げと網の片付けなど、10名ほどが分担して作業しています。
この日は、メイタガレイ、マコガレイ、クロウシノシタ(シタビラメ)、マゴチ(カサゴ目コチ)、コモンカスベ(エイ目)、ガザミ(ワタリガニ)、ヒラツメガニ、モスソガイ(ツブ貝)などが捕れました。
3代目の漁師で、この道60年の小野さんですが、原発事故後は試験操業のため、月に最大10日しか操業できません。
原発事故前は、毎日のように自分の判断で漁に行くことができました。
漁で効率よく魚を採るために、GPS、レーダー、魚群探知機などの設備を整えてきました。
ところが、いまは漁に出たくても出られないのです。
最近では放射能の影響も少なくなり、魚介類の放射能モニタリング検査*1では、ほとんどの魚種で検出限界以下の状態が続いています。
原発事故後は魚が底値まで値下がりしましたが、12年経って、魚の値段は少しずつ回復してきました。
シラスは約5倍、ヒラメは約4倍程度まで値段が上がり、12年経ってようやく落ち着いてきたといいます。
福島の漁業が本格操業に向けて動き始めたタイミングで汚染水を海洋放出されれば、本格操業ができなくなると小野さんは憤ります。
「汚染水を流して、宮城県の魚と福島県の魚があったらどっちを買うんだ? 福島県の魚が売れっか? 若いお母さんが子どもに食わせっか?」
消費者は買わなくなり、魚の卸業者や仲買さんも、売れないものは買わなくなります。
福島の漁業は壊滅的なダメージを受けることになると、小野さんは訴えます。

©Ryohei Kataoka/Greenpeace
あと30年我慢しろというのか
「いくら補償の基金を積んでも、金やればいいっつう問題ではねえ。あと30年我慢しろというのか」
小野さんは怒りをあらわにします。
海洋放出は30年以上かかると想定されていますが、経済産業省は風評被害対策として基金から漁業補償を支払う方針を打ち出しています*2。
生き甲斐を持って働くことはお金には変えられません。
風評対策の補償金をもらっても、漁師は減り、後継者もいなくなってしまうでしょう。
漁業に関わる技術や文化を継承することもできなくなってしまいます。
さらに、魚は季節ごとに成長し、大量に獲れれば値段は下がるなど、値段は変動します。
1トン獲って10万円の時もあれば100万円になる場合もあるといいます。
米のように一俵の相場が決まっているわけではないため、風評対策で買い上げるといっても、一体どこを基準にするのか、小野さんは疑問を感じています。

©Ryohei Kataoka/Greenpeace
子々孫々この地で漁をする
小野さんは、原発事故の後に魚が安くて売れないため、まずは海をきれいにすることから始めようと考え、国の補助金で海のがれき撤去作業をしました。
海表の木材などのがれきから、網を使って海底のがれき撤去もおこない、福島第一原発の10km圏内まで行って作業したこともあります。
その後、2012年から試験操業が始まりました。
「我々は子々孫々まで、ここで漁業をしなければならない。いま海を守んねかったら、30年、50年後に、なんで海に流させたんだと言われる」
遠洋漁業は遠くに移動して操業するため、それほど海洋放出の影響を受けませんが、沿岸漁業は漁港や陸の近くで漁をするため影響が大きいのです。
さらに、双葉町、大熊町には漁港がなく、漁師(漁協組合員)がいないため、海洋放出に賛成しているのだといいます。

©Ryohei Kataoka/Greenpeace
小野さんは、子どもたち、孫たちのためにどうするのかを考えてきました。
ある時、知人の漁師の息子(中学2年生)から聞かれました。
「自分は漁師になって大丈夫ですか?」
その質問に対して、答えに窮したといいます。
「汚染水が流されるわけだから、自信をもって大丈夫だとは言わんねかった(※言えなかった)」
小野さんの答えに、中学生の彼は言葉を失ってしまったそうです。
汚染水が海洋放出されれば、福島の漁業や漁師の将来は見通しが立ちません。

海は命の生命線
「海は人間のものではねぇ。海を汚すととんでもないしっぺ返しが来っから。海は命の生命線だ」
小野さんたち漁師は、先祖が代々守ってきた海の恩恵を受けてきました。
海と山はつながっていて、山から有機物や栄養分が海へと流れ込みます。
山がないと海は豊かになりません。
「原発事故前は良い海だった。この海をさらに汚されたらどうしようもねぇ。海は、海洋放出をしなければ絶対に再生する」
小野さんは海の再生力を信じています。
「汚染水を管理しながら海洋放出するというのは怖い。本当に何も影響ないなら管理する必要ねぇんだ」
30年後、50年後に汚染の実害が出てくる可能性を強く懸念しています。
「国会議員や政府の役人は、ここで暮らして、毎日ここの魚を食べてから話をしてほしい」

小野さんは悔しさで涙を滲ませた(2023年1月)
©Ryohei Kataoka/Greenpeace
止めて、保管して、待つべき
「汚染土は中間貯蔵施設で30年も保管するのに、なんで汚染水は海に流すのか」
小野さんは、矛盾だらけの方針を指摘します。
2021年4月に閣議決定された際に、漁業者の代表である農林水産大臣がなぜ反対しなかったのか、福島県の内堀知事も反対の意見を言うべきだと、憤りを感じています。
当事者である漁業者の声は、政府に届いていません。
「止めて、保管して、待つべきだ」
小野さんは海洋放出以外の方法を検討すべきだと訴えています。
まず、汚染水の発生源を止めて、耐震性が証明されている大型の石油備蓄タンクなどに汚染水を移して保管し、より高度な放射性核種除去技術を開発するなど、海洋放出以外に現実的な方法はあるのです*3。

手前は中間貯蔵施設のベルトコンベアと土壌貯蔵施設(汚染土の埋め立て地)(2021年2月 大熊町)
©Ryohei Kataoka
再稼働はおかしい
「原発の再稼働は本当におかしいべ。んだべした(※当然だ)、こういう事故あったんだぞ、亡くなった人もいるんだぞ。なんで地方が被害を受けなくちゃなんねぇの」
都会から遠く離れた地方に原発が建設され、事故の被害を受ける理不尽な現実を小野さんは許せません。
原発事故で安全神話は崩れ、12年経っても故郷に戻れない人が約3万人います。
電気が足りないわけではなく、節電すれば間に合うのです。
「再稼働させれば電気料金を下げるなんて、こんなの脅しでねぇか」

海上には放出口上部の4本の柱がわずかに見える(写真中央遠景)
©Ryohei Kataoka/Greenpeace
–取材を終えて
小野さんは、漁業者として声を上げ続けている数少ない一人です。
3人の息子を漁師に育てた自分の責任として、将来の世代のために反対の声を発信しなければいけないと話していました。
汚染水の海洋放出が決定されてしまった以上、止められるのは世論の力だけだといいます。
「海はみんなのもの。海を大切にすることが重要だ。我々が本気になって止めなければいけない」
小野さんが最後に強調した言葉です。
東日本大震災・福島原発事故から12年。私たちは今も続く原発事故後の現実に目を向け、いま何を取り組まなければいけないのかをみなさんと一緒に考えていきたいと思います。
原発がいらない7つの理由
理由1:放射線被ばくのリスク
福島原発事故でもわかるように、大きな事故が起きれば、閉じ込められていたはずの放射性物質が外へ放出されます。放射線や放射性物質には、これ以下であれば安全という明確な値はありません。放射線はDNAを傷つけます。長期的な影響として、がんや白血病になるリスクが高まります。人は食べ物、大地、宇宙線など自然界に存在する放射線(自然放射線)の影響を受けています。自然放射線が健康に無害というわけではありません*4。原発が生み出す人工放射線による被ばくは、いかに少ない線量であっても、自然放射線に上乗せして被ばくすることになります。原発の運転で生み出される代表的な人工放射性核種には、プルトニウム239(半減期2万4千年)、セシウム137(半減期30年)、ストロンチウム90(半減期29年)などがあり、放出されれば、生態系や人間の健康に長期間にわたり影響を及ぼします*5。福島原発事故では、放出された放射能が約250km離れた首都圏にも飛来して、多くの場所が汚染されました。事故の悪化や風向きによっては、首都圏全域の避難の必要もありました。取水や換気を制限する生活を余儀なくされ、山菜や野生動物の出荷制限は現在も一部で続いています。事故後は周囲30km以上にわたって警戒区域に指定され、全住民約16万5千人に避難が強いられました。12年が経過した今でも、約3万人が避難生活を続けています。
(理由2〜7を他のインタビューで紹介しています)
*4 ICRP Publication146(大規模原子力事故の影響 5 2.2.1.2 がんおよび遺伝性疾患(22)参照)
(文・写真 片岡 遼平)