坂本龍一さんと環境活動 脱原発、森林保全「未来の子どもたちへ手渡せるよう」
この投稿を読むとわかること
2023年3月28日、音楽家の坂本龍一さんが死去されました。坂本さんは音楽活動のみならず、社会のため、平和のため、環境のために多くの時間を使って活動を続けてこられました。それは闘病生活の中にあったはずの近年も変わることはありませんでした。
あまりに多くの功績、活動に敬意と感謝を表し、グリーンピースの活動とも併走してくださった坂本さんの環境にまつわる活動の一端や、遺された言葉に触れたいと思います。
▼この記事を読むとわかること > 坂本龍一さんと環境活動 数十年にわたる弛みない歩み > アーティストを巻き込み、地球環境、脱原発のために > 東日本大震災、原発事故その後 市民とともに > 坂本龍一さんの言葉「再開発計画を中断し、見直すべきです」 > 追悼の言葉に変えて お約束します |
坂本龍一さんと環境活動 数十年にわたる弛みない歩み
世界的な音楽家として、素晴らしい楽曲を世に送り出し、グラミー賞やアカデミー賞受賞などの輝かしい実績を持つ坂本龍一さん。
そのご活躍は音楽活動だけに止まらず、問題意識を幅広く持ち、社会について、平和について、政治について、活動と発信を続けられていたことはよく知られています。
坂本さんは環境問題にも、深い関心を持ち続けられていて、アーティストとしても、そして個人としても環境のための活動を途切れることなく行ってこられました。その始まりは1990年代にまで遡ります。
あまりに多くの功績と活動に敬意と感謝を表し、グリーンピースの活動とも関わってくださった坂本さんの環境にまつわる活動のほんの一端をここに記します。
アーティストを巻き込み、地球環境、脱原発のために
2001年には音楽活動を通して、自然エネルギーや環境問題をひろめるための「Artists’ Power(アーティスト・パワー)」の活動を開始*。
ロックグループ「GLAY」のTAKUROさんや、環境NPOと共同で取り組み多くの人を巻き込んで、画期的な試みに取り組まれました*。
その後、「Artists’ Power」を前身に、自然エネルギーや環境保全活動への融資や復興支援活動など、持続可能な社会のためのプロジェクトが発足。「Artists’ Power」の頭文字から「ap bank」と名付けられ、現在も素晴らしい活動が続いています*。
2004年頃にはすでに脱原発の活動に取り組まれていました。
市民団体が「高速増殖炉もんじゅ※」の問題点を明らかにするために制作した映像作品に、楽曲提供やナレーションで協力。市民団体が主催した署名に個人として参加された坂本さんは、音楽提供の依頼に、二つ返事で快諾したといいます*。
※増殖させたプルトニウムをナトリウムで冷却して燃料とし発電する高速増殖炉の実用化に向けた技術の開発等を目的に計画された原型炉。
青森県六ヶ所村の六ヶ所村核燃料再処理施設にも早期から警鐘を鳴らしていて、2006年には再処理工場の建設と維持に反対するプロジェクト「STOP ROKKASHO」を立ち上げています。その危険性の周知に最も早い段階から尽力されました。
森林保全の活動にも力を注ぎ、2007年には細野晴臣さん、高橋幸宏さん、中沢新一さん、桑原茂一さんと、一般社団法人「more trees(モア・トゥリーズ)」を設立。more treesは現在も「森と人がずっとともに生きる社会」を目指してさまざまな取り組みを行っています。
東日本大震災、原発事故その後 市民との連携を強めながら
その後、2011年、3月の東日本大震災、東京電力福島第一原発事故が起きてから、坂本さんは多くの人に知られるように、脱原発運動に一層力を入れていました。
「さようなら原発 1000万人アクション」に呼びかけ人として参加。先日、2023年3月3日に死去された大江健三郎さんを始めとする著名人、そして市民とともに声を上げました。
和合亮一さん、遠藤ミチロウさん、大友良英さんらが立ち上げた「プロジェクトFUKUSHIMA!」では賛同に加えライブ活動などで協力し、福島現地へも実際に足を運ばれています。
4月に行われたアースデイでグリーンピースなどが企画したエネルギーシフトパレードにも、小林武史さん、加藤登紀子さん、C.W.ニコルさん、飯田哲也さん、田中優さん、辻信一さんらと一緒に賛同を寄せてくださいました。
2012年には、2025年度までにすべての原発を廃止する「脱原発基本法」の制定を目指すために、大江健三郎さんらと「脱原発法制定全国ネットワーク」を設立*。
東京の代々木で行われた「さようなら原発10万人集会」に呼びかけ人として参加し、集会には主催者発表で約17万人もの市民が集まりました。
また、「NO NUKES」という脱原発をテーマにした音楽フェスティバルの開催を呼びかけ、オーガナイザーとしてその後8年にわたって計6回のイベントを開催。収益を脱原発団体に寄付し続けています。
3月10日、11日に日比谷公園で開催された「Peace on Earth」ステージでは、グリーンピースのキャンペーン「Love! ハイロ」に宛てて温かいビデオメッセージを寄せてくださいました。
「僕は、人間は兵器としても、エネルギーとしても、核とは共存できないと信じています」(坂本龍一さん)
それ以外にも数々の脱原発デモに実際に現地参加し、首相官邸前でスピーチをされるなど、ご自身の声で反核の意志を語られています。
2017年にはグリーンピースの言論の自由と森林保護を求めるキャンペーン「#OurVoicesAreVital」に、世界中の作家、ジャーナリスト、音楽家、漫画家、詩人など100人以上のアーティストとともに賛同し、声を寄せてくださいました。
このほか、グリーンピースの遺伝子組み換え問題のキャンペーンについても協力してくださるなど、より多くの方に環境問題を知ってもらうきっかけを数多く作ってくださっています。
坂本龍一さんの言葉「再開発計画を中断し、見直すべきです」
坂本さんはいつでも、アーティストとしての知名度や資金力を社会のために使おうとされていました。
近年では、闘病中にもかかわらず、政府の原発回帰政策や、明治神宮外苑の再開発に対して、ご自身の意志を強く表明され続けていました。
東京新聞に寄せられたメッセージではこのように語られています。
「2011年の原発事故から12年、人々の記憶は薄れているかもしれないけれど、いつまでたっても原発は危険だ。いやむしろ時間が経てば経つほど危険性は増す」
明治神宮外苑の再開発に対しては、小池百合子都知事らに宛てた2月24日付のお手紙でこのように書かれています*。
「神宮外苑の開発は持続可能とは言えない。これらの樹々を私たちが未来の子供達へ手渡せるよう、再開発計画を中断し、見直すべきです」
その後、このお手紙について訊ねられた坂本さんは「わたしは現在がんの闘病中で、今は音楽制作を続けるのも難しいほど気力・体力ともに減衰しています」と語っていて、こうした意思の表明は苦しい体調の中で気力を振り絞って行われていたことがわかります*。
追悼の言葉に変えて お約束します
「市民ひとりひとりがこの問題を知り、直視し、将来はどのような姿であってほしいのか、それぞれが声を上げるべきだと思います」
(47NEWSインタビューより*)
同じ未来を目指し、活動しているグリーンピースは、坂本さんの発信に強く励まされ、インスパイアされ続けてきました。
いつでも市民とともに、草の根の活動に参加し続けていた坂本龍一さん。
私たちは追悼の言葉に変えて、一層力強く地球の未来を明るい方向へ進めるために力を合わせることをお約束したいと思います。