Dear 辺野古 僕の想い
この投稿を読むとわかること
皆さん、こんにちは。私、グリーンピース・ジャパンでボランティアをさせていただいている、知花久樹(チバナ ヒサキ)と申します。
この度、その縁で、沖縄出身である私に「辺野古への個人的な想い」を伝えてみない?という、ご提案をいただき、緊張しながらも、生まれて初めてとなるブログに筆(実際には指)を走らせております。
1.基地の街に生まれ、育って、そして沖縄を離れてみて
私は沖縄本島中部の基地の街「嘉手納町」で生まれ、中学までを過ごしました。
戦闘機が発する爆音に備えて教育施設や住宅は防音工事、空調設備が必須な街です。街の約80%が基地で占められているということもあり、幼い頃は、フェンスの外から見える基地の中の広大な芝生や、映画館を併設した大きなスーパーマーケット、何もかもスケールの大きいアメリカの印象にとても憧れました。生活の中に基地があること、爆音が響きわたることは当然で、それに対し何の疑問も全く抱きませんでした。
そして、私は高校進学を機に辺野古へと移り、高校・短大までの5年間を辺野古で過ごしました。正直、初めは「ド田舎に来てしまったなぁ~」と思いましたが、平穏でどこか古い感じがして、でも豊かな自然が残るユニークな辺野古にだんだんと惹かれていきました。
ある日の夕方、学校終わりに駐車場を目指して歩いていると、上空を「オスプレイ」*がすごい近距離で飛んだ日を今もよく覚えています。
その時に、生まれてはじめて「違和感」を感じました。
当時、アメリカ本国の訓練飛行で事故を起こし安全性の保証されていないはずのオスプレイが、沖縄の人々の、辺野古の人々の頭上を堂々と飛べるという現実を知ったとき、「両国の沖縄に対する認識、戦後70年以上経とうとも変わらない沖縄の現状」を肌で感じたように思います。
*米空軍の特殊作戦機
そして、私は21歳から留学のために沖縄を離れました。
留学先のオーストラリアは、世界的にも最も人口密度の低い国の一つであり、住宅地や学校の周りにはもちろん「基地」はありません。街のいたるところに青々とした草木や公共の公園が多くあります。
もちろん、沖縄とオーストラリアでは歴史的背景も異なれば、地理的にも大きく異なるし単純に比較はできません。しかし、少なくとも思うことは、純粋に「爆音がなく、危険な飛行機が頭上を飛ぶことなく、子どもも大人も安全に過ごせる場所をなくすべきではない」ということです。
なぜなら、そこには個々の幸せな時間がたくさん流れていると実感するからです。そして、沖縄には沖縄にしかない、残すべき自然、幸せが流れる場所、がたくさんあります。辺野古に住んでいた10代後半から20歳にかけての時代、家族や友達のいる地元を離れ、学校での人間関係に悩みつらい時、研究・課題に追われていた時、いつも変わらず温かくも強く私を迎え入れてくれた、どんな時でも幸せを見いだすヒントを与えてくれた辺野古の海へ、感謝の想いを寄せながら今この文を書いています。
写真:兄、従弟と共に嘉手納基地フェンス横を歩く小学校低学年頃の私(左端)
2.”既存の基地とは共存できる関係を”でも、”辺野古埋め立て新基地建設は正しいとは思わない”
私がこのブログで共有させていただきたい、”2つの想い”があります。
1つは、私は個人的に「既存の基地」の存在に感謝しています。その大きな理由は1つ、基地があったことで「異文化そして異文化の人々と出会える機会」に恵まれたからです。
同級生の友達には軍人さんの子どももいるし、親族や周りにも軍人さんと新しく家族を持って世界に飛び立って暮らしている人います。もちろん、基地を生活の基盤にしている知人の方々も多くいます。
そして、日常のニュースではあまり伝えてくれない、在沖の軍人の方々が沖縄の人々のために行っている本当に尊敬する社会貢献の数々(街の清掃活動、家庭事情が恵まれない沖縄の子ども達のための炊き出し活動への参加、救助活動…)も多く実在します。様々な問題があっても、”お互いの温かい思いやりの行動、それによってうまれる繋がり”さえあれば、難しい問題も人種や文化の垣根を越えて分かち合い、より良い沖縄そして未来のために、共に考えていくことは出来ると信じています。
少し話はそれるかもしれませんが、最近、沖縄を代表するご当地ビールの宣伝活動が、本国へ帰還した一部の米兵さんなどを中心に行われているというNikkei Asahi の記事を拝見し、”基地がうんだ人々の絆”によって誕生する沖縄からはじまる新たな世界的なビジネスチャンスも夢話でない!”と。
2つめの想い:しかしながら、「辺野古の埋め立て新基地建設」は正しくないはずだ!と声をあげます。その理由は2つあります。
- 沖縄の北部に広がる生物多様性と希少動植物を守る重要性
- 沖縄を想う人々との出会い
沖縄の北部に広がる亜熱帯の森、そして、それを囲む美しい海は、-沖縄特有の気候や地理的特徴を生かして何十億年もかけて育まれたれてきた-、”多くの珍しい生物種や固有種が種を繋いでいく”ための重要な機能性を絶妙なバランスで提供している場所だということを沖縄の自然に触れながら学んできました。しかし、環境の変化(特に人為的な)によってそれらの生物が受ける影響は、沖縄のように孤立した小島で生物資源が限られた場所は、大陸などに比べてより深刻だと考えられます。また、現在、国と沖縄県は本島北部に広がるやんばるの森を世界自然遺産に登録すべく共に動いています。とても嬉しく素晴らしいことだと思います。
私自身、環境学を学んでいる身として、やんばる地域を取りまく現状を踏まえ、そして地球規模での環境保全の観点から、沖縄の北部に位置し種の保存の役割をはたし生態学的に重要な場所の1つであるはずの辺野古の海を「新基地建設のために破壊する」ということは、”正しい行動ではない”と強く思います。
そして2つ目の同じく重要な理由、それは沖縄を想う多くの人々との出会いです。
以前の私は、沖縄の人でもないのに真意に沖縄のことを考え想ってくれている人はいない、と悲しい考えを持っていました(沖縄に限ったことではなく)。だから、ニュースで取り上げられる情報だけをうのみにし、遠方から辺野古や高江を守るために来た方々に対しても疑いの念を感じていました。そして、自分が辺野古への意思を表現することに対して、そういった見ず知らずの人たちと同じような人間にみられるのではという恐怖がありました。
しかし、留学で出会った人々、グリーンピースでの経験を通して、純粋に沖縄の自然・人を大好きでいてくれている多くの人々、そして辺野古問題に強い思いで真剣に向き合っている多くの遠方の人々がいることを知りました。そこで、見えてきた新らしい価値観があります。生まれや育ってきたところは違えど、「魅力があり残すべき場所や、大切なもの」には”人々の想いは集まる”のだと。そして、お互いがお互いに耳を傾け、共に尊重し合いながら親切な気持ちも持った時に、芽生えてくる明るい解決策があるのではないかと。
辺野古や高江の一部の偏った過激な反対活動を行う人やそれを主に取り上げるメディアによって、沖縄そして辺野古の未来を想い行動したい!と心から願ってくれている人々が足踏みしている現状があるとするならば、それはとても残念なことだと思います。沖縄の基地問題を取り巻く暴言や争いの行動から、基地問題(辺野古問題)に本当に必要な”人の絆”は生まれないと思います。侵略の歴史を持ち、沖縄戦を経験し、それに起因する深い悲しみを知っている沖縄、人々との絆を大事にする沖縄だからこそ世界に発信できる重要なメッセージがきっとあると思います。
3.私の想いを読んでくれたあなたへ「心からありがとう」
今回、正直これまで真剣になって「基地」や「辺野古問題」と向き合ったことのない私みたいものがこのブログを書いていいものか、すごく戸惑いました。しかし、基地の街(嘉手納)に生れ育ち、辺野古に住んでいた(辺野古にお世話になった)人間として、何より基地と共に生きてきた多くの沖縄県民の1人として私なりの”想い”をお伝えすることは決して間違いではない、そして、私自身にとって、これを読んで下さった誰かにとっても、小さくとも大切なActionを起こすきっかけになることを願いオファーを受ける決心をしました。
人それぞれ、経験も違えば、住む場所も違えば、もちろん考えも異なります。
ただ、人が人を想い、そして繋がり、“今日が昨日よりも少しだけ、そして明日が今日よりも少し良くなればいいな“という共通の思いのもと、個々がそれぞれの想いを伝えることで生まれる”今”はきっと素敵な未来を築いていけると信じて…。心からありがとうございます。
——–このブログは、沖縄出身でグリーンピースでインターンをしてくださったご縁をきっかけに、グリーンピース・ジャパンが知花さんに打診して執筆してもらいました。意見の相違があっても、お互いがお互いの違いを尊重しながら、共通点を見つけ、「人が人を想い、繋がる」ことで相互理解を深めていけることを願います。
グリーンピース・ジャパンは、過去10年以上にわたり沖縄県の辺野古への新基地建設反対の立場から状況を注視し、グリーンピースの持つ船を3回現地に派遣するなど、多くの絶滅危惧種を含む貴重で豊かな生態系が残る辺野古・大浦湾の環境がまもられることを求めてきました。私たちは、地球規模で一層早急な取り組みが求められる気候変動問題や、国境を超えて広がる環境汚染をより早く着実に止めることに優先的に取り組む国際環境NGOです。今後も辺野古への新基地反対を訴える地元の方々の想いがより多くの方々に伝わる方法を、みなさんとともに考えていきたいと思います。
※この記事には必ずしも国際環境NGOグリーンピースの見解と一致しない部分もありますが、ご本人の文章をそのままの形で掲載しています。