【ガザ支援船団の航海】日本から船長として参加した武本匡弘さんの証言
この投稿を読むとわかること

2026年4月、ガザを目指す支援船団「グローバル・スムード・フローティラ」に、日本から一人の環境活動家が船長として参加しました。プロダイバーでNPO気候危機対策ネットワーク代表を務め、グリーンピースのアンバサダーでもある武本匡弘さんです。出発前、そして海の上で何を見たのか、武本さんの証言をもとに、仲間との準備からイスラエル軍の襲撃にあった夜、そして帰国後までをたどります。
パレスチナの今、失われている命
イスラエルによる封鎖が続くパレスチナ自治区ガザでは今も、食料や医療が絶たれたまま、多くの命が危機に瀕しています。

CNNの報道によると、イスラエル軍は2023年10月の戦闘開始以来、パレスチナの犠牲者が7万人を超えたことを認めており、国連が行った分析では、身元が確認された犠牲者の約7割は女性と子どもでした。
ユニセフによると、2025年10月の停戦が合意された後もわずか3カ月間で少なくとも100人の子どもが命を落としています。国連独立調査委員会は2026年6月に、イスラエル当局が意図的に子どもを標的にしているとする報告書を発表しました。
ガザに対する攻撃は、大気、水資源、土壌などの環境にも深刻な被害をもたらしています。また、攻撃開始から最初の120日間だけで、戦闘が生んだ温室効果ガスは、世界の26の国や地域それぞれの年間排出量を上回ると推定されています。
海からガザを目指す「グローバル・スムード・フローティラ」
国際社会はイスラエルによるガザへの違法な包囲と攻撃を止めることができていません。しかし、「このままでよいはずがない」という想いを行動に移す市民たちがいます。
海路から封鎖を破り、船で支援物資をガザへ届けるため、非暴力の市民による有志団体が結成されました。これまでも幾度となく航海が行われ、スウェーデンの環境活動家、グレタ・トゥーンベリさんが参加したことでも注目を集めました。
しかし、出航した船はそのたびに公海上でイスラエル軍によって拿捕されてきました。国連の専門家らは、こうした公海上での拿捕を国際法違反であると指摘しています。
日本からガザ支援船団に参加した武本匡弘さん
2026年4月、ガザを目指した最新の船団「グローバル・スムード・フローティラ(不屈の船団、以下、GSF)」に、日本から一人の環境活動家が船長として参加しました。グリーンピース・アンバサダーでもある武本匡弘(たけもとまさひろ)さんです。
力による支配が放置される世界の状況を変えるためにGSFに参加した武本さん。出発前、そして海の上で、何を目にしたのでしょうか。
※以下は武本匡弘さんの体験とお話を基に構成しています
「普通の人たち」が自分にできることを持ち寄って
パレスチナの状況を注視する中、船団への参加に興味を持った武本さんは、2026年1月からローマ、ジェノバ、バルセロナへと渡り、自身で情報収集を行いました。専門家や活動家だけでなく、一般の市民たちの間にも船団の存在が、好意と尊敬をもってよく知られていることに驚かされたといいます。
情報収集で確かな手応えを得た武本さんが応募すると、ヨットによる長期航海の経験が見込まれ、すぐに「来てほしい」と返事が届きます。武本さんは船団の出発拠点、イタリアのシチリア島へと向かいました。

ガザを目指す船団は、回を重ねるごとに注目を集め、2025年夏の航海では、40カ国以上から27,000人もの応募が殺到しました(選ばれたのはそのうちの約500人)。武本さんが参加した2026年4月からの航海にも、約2万人弱からの応募があったといいます。
狭き門をくぐり抜けてメンバーに選ばれた武本さんに与えられた役割は、クルーに操船の基本を教え、船長を育てること。また、出航までに、地中海中から集められた中古のヨットを、直せるだけ直す必要もありました。
それぞれの職能が船を動かす力になる
幾度もの長距離航海の経験を持つ武本さんは、船長として船団に参加しました。しかし、そのほかのメンバーには、ヨットや船の経験を持つ参加者はあまりいませんでした。

例えば、帆(セイル)の修理を担ったのは、舞台衣装を手がける縫製業に従事する女性でした。マストによじ登って、旗の取り付けや点検をこなしたのは、柔軟かつ優れた体幹を持つプロダンサーの青年。帆には、ヨーロッパ中のアーティストの手で、美しいアートが描かれました。
電気配線を直したり、バッテリー交換を行なったのはスイス人とチュニジア人の電気工事士です。船底を点検し、貼りついた貝殻をこそぎ落としたのは、ボランティアで駆けつけたローマのダイバー3人でした。

GSFに集まった人々はそれぞれの人生で身につけた技能や職能を活かして、ガザを目指したのです。
食事はすべてヴィーガンで、毎日100〜200人分が作られる大所帯です。ある日には、代々伝わるレシピのパスタを振る舞うために、シチリアのレストランからシェフがボランティアに来てくれたそうです。

船団の出発は陸上の協力者にもしっかりサポートされていました。
24時間体制で拠点の建物からイスラエルから飛んでくるドローンを見張る「ワッチ」の役割を志願したのは「私は他に何もできないから、見張りをやります」と名乗りをあげたボランティアでした。
船に乗る参加者の何倍もの数のボランティアが、陸から船団の航海を支えていました。年齢層も幅広く、75歳の活動家が船長を務める船もあれば、22歳の舞台俳優が加わった船もあります。
「差別」「ジェンダー」3週間の出航前レクチャー
出航前の3週間、シチリア島のGSF拠点では毎日レクチャーが行われていました。スマートフォンの持ち込みも録音も禁止のなか、行われたのは単なる安全講習ではありません。
最初のレクチャーは「差別」についてでした。
人種の違い、文化の違い、宗教の違い、言葉の違い、食べ物の違い。陸上からのサポートを行う人をあわせた1,000人もの人間が集まり、寝食をともにすれば、否応なく個人の違いが日々の中に現れてきます。
そうした違いが優越感や違和感、さらには差別に結びついてしまうと、最終的には暴力や争いへとつながる可能性がある。その構造を、基礎から学び直す時間でした。

その次に半日かけて行われたのは「ジェンダー」についての講義です。戦争と性暴力の関係、男性支配の構造が他国への支配につながっていく歴史について学びます。
武本さんはジェンダーの講義での学びを、政治や気候変動の問題ともつながる重要な視点として受け止めました。
「世界は見放した」パレスチナ人青年の言葉
その上で船団が何より重視していたのは、パレスチナの人々から直接その体験を聞くことでした。
武本さんが強く記憶しているのは、24人もの家族や親戚をイスラエル軍に殺害されたパレスチナ人の青年の言葉です。

彼は、2024年にすべての身寄りを亡くし、「世界はもうパレスチナを見放したんだ」と絶望したといいます。
しかし、ガザを目指す船団の存在を知って、「見捨てていない人たちがいる」と感じ、救われたと語りました。そして、遠い日本から参加している武本さんに対しても、繰り返し感謝を伝えていたといいます。
危険はわかっている、それでもガザへ
拘束された場合の健康管理についての講義もありました。水を与えられない状況でトイレの水を飲まざるを得ない場合には、できるだけ感染症を防ぐために、どのような飲み方をするべきかまで指導があります。
船団の一員となってガザを目指すということは、イスラエル軍に拿捕されるかもしれないということです。そして、ひとたび拘束されれば拷問や虐待を受ける可能性がある。そのことは、過去の船団の参加者の経験からも明白です。それでも、すべての参加者はリスクを知った上でこの場所に集まっていました。
今回が二度目の参加となる参加者はその理由をこう話したそうです。「だって、毎日子どもが殺されているのを黙って見てはいられない」
グローバル・スムード・フローティラの航海
ようやく出航の準備が整い、バルセロナから来たチームも合流し、80隻近くの船が、一斉にガザへと向かう航海の始まりです。
武本さんが船長として指揮を任されたのは、船齢25年のイタリア籍のヨット「ビアンカ号」でした。行程は約1,100海里、およそ2,000キロ、ヨットでは長旅になります。

出航後、地中海の穏やかな航海が続く間は、まるでバケーションのようだったと武本さんは振り返ります。

しかし、みなに「キャプテンマサ」と呼ばれ、船長を務める武本さんには多くの仕事があります。
クルーたちに航海術を教える忙しい日々です。出航日が遅れたこともあって、ガザまでの行程の途中で離脱しなければならないことがすでにわかっていました。そのために、次期船長を育てる必要もありました。
クルーたちも武本さんが船を降りた後、自分たちで航海を続けられるように必死で勉強してくれたといいます。

ヨット上では、イスラエル軍に襲撃された時のシミュレーション訓練も何度も行われました。
「ライフジャケットを着て、救命ボートを点検し、船内にあるナイフや包丁など、あらゆる武器になりそうなものを全てバケツに集め、目立つ場所に置く」
襲撃を受けた時の行動と、攻撃の意図を持たないことの示し方が、あらかじめ決められていました。
グリーンピースのアークティック・サンライズ号の活躍
グリーンピースのアークティック・サンライズ号は航海を技術支援するためにバルセロナから船団に合流していました。どのようにGSFの航海をサポートしていたのでしょうか。

ガザを目指す航海自体が大きなリスクをともなうものですが、この船団は、さらにほぼすべてのヨットが急遽仕立て直した中古船であり、乗っているのはほとんどが経験のない素人です。
そんな中、海の現場を知り尽くしたプロフェッショナルが運航するアークティック・サンライズ号の支援には「非常に助けられた」と武本さんは話します。
グリーンピースのスタッフは、アークティック・サンライズ号からゴムボートを出し、船団のヨットの間を朝から晩まで行き来し、要請された物資や必要な部品を届け、時にはゴミまで回収していきます。

中でも、ヨットからヨットへ荷物や人を受け渡す作業では、グリーンピースの経験が光りました。
受け渡しは、安定性がなくなり距離のロスも出てしまうため、両船ともが同じ速度で並走しながら行うのが理想です。
ただ、経験のないクルーが相手の場合にはたいていエンジンを止めたり、帆を降ろしたりする必要があったのだそう。
しかし、何も言わずとも決まった出力でぴたりと船体を寄せてくれるグリーンピースのボートとは、帆を張って走りながら正確に物資を受け渡すことができました。

また、ビアンカ号の帆が破れるという思いがけないアクシデントの際にも、アークティック・サンライズ号が用意していた予備の帆を使って、無事に張り替えることができました。
「さすが、海から人を助けに行くというのがグリーンピースの始まりですからね」
武本さんはそう話します。海からのアクション、海からの支援、グリーンピースがこれまで世界中の海で重ねてきた活動の蓄積が、ガザを目指す航海の中でもしっかりと活かされていました。
イスラエル軍による一度目の襲撃
4月29日の夜、ガザまで1,000キロ以上を残し、ギリシャ沖公海を航行する船団の上空を、いつものようにイスラエルのドローンが飛んでいました。
しかし、その日は数がいつもと違っていました。武本さんは「今日は多いな」と感じていたといいます。
午後8時半ごろ、船首で見張りをしていたクルーの声が響きます。
「襲撃!」
武本さんが振り向くと、左手200メートルほど先に、サーチライトを照らす高速ボートの一団が見えました。武装した兵士たちが乗っています。見る間に仲間たちの船に炎があがりました。

兵士たちが何かを撃ち込み、帆に火が放たれたようでした。帆を燃やしてヨットの動力を奪い、乗り込んでエンジンを破壊するという戦略が取られていたと考えられます。
武本さんは咄嗟に舵を切り、ギリシャ領を目指して全速力で逃げながら、仲間に無線でメーデー(SOS)コールを発するよう指示しました。しかし、ギリシャ沿岸警備隊からの応答はありませんでした。
暗闇の中を必死に逃げた10時間
武本さんらは夜中10時間にもおよんで船を走らせました。そして、翌朝の5時半ごろ、ようやくギリシャ領海内にたどり着きます。
恐ろしい夜がしらじらと明け始めた頃、朝もやが少しずつ晴れるとともに、武本さんの目に見えてきたのは、無事に逃げ切ることができた他の仲間たちの船の姿でした。

一隻が近づいてきます。大きな声が響きました。
「おはようございます! キャプテンマサ!」、武本さんが教えた日本語でした。

互いの無事を確かめ合いながらも、それは手放しの喜びとは違いました。
襲撃にあった船は? 誰か拿捕されたのか? 情報を交換し合いながら、その時点では無事を確認できた人たち以外の安否はわからなかったのです。
誰からともなく「Free, free, Palestine! (パレスチナに自由を!)」と声が上がります。
悔しさと悲しさ、怒りの入り混じった叫びが、残った船の間で何度も何度も繰り返されました。
公海上での違法な襲撃
その夜の襲撃で、船団のうち22隻が拿捕され、175人が拘束されていました。思いもよらない襲撃が起きたのは、ギリシャ、クレタ島沖の公海上でした。
公海はどの国の主権にも属さないため、国連海洋法条約(第89条および第92条)のもと、公海を航行する船を取り締まることができるのは、原則としてその船の旗国(船舶が登録され、法的な船籍を置いている国)だけであると定められています。

公海において、民間船に他国の軍が乗り込み、船体への攻撃や差し押さえ、乗員の連行などを行うことは、この原則を大きく逸脱しています。
国連特別報告者のフランチェスカ・アルバネーゼ氏は、今回の襲撃を受けて「国境なきアパルトヘイト」という言葉で激しく非難しました。
この夜の襲撃は約6時間にもおよんだといいます。後に武本さんに届いた報告によると、拿捕された仲間たちの中には、暴行を受け鼻や顎、肋骨を骨折した人もおり、30人以上がギリシャの病院に搬送されたといいます。みな、武本さんが出航前からともに過ごしてきた仲間でした。
「マサ、このままだと帰れなくなる」
クレタ島の岸に避難してからも気を抜く暇はありません。対岸には、ギリシャ警察と、モサド(イスラエル諜報特務庁)と思われる人たちの姿が見えています。
上空をドローンが飛び交う中、夜間も交代で見張りを続けます。
そんな中、武本さんには決断のときが迫っていました。日本での予定のために、出発前から決まっていた帰国日が近づいていたのです。
当初はトルコまで航海して引き継ぎを終える計画でしたが、もう時間が残されていませんでした。クルーたちに「このままだと帰れなくなる」と促され、武本さんは勉強用の書籍などの私物を処分し、着の身着のままの上陸を決意します。
クルーの一人がその場でどこかへメッセージを送ると、すぐに飛行機の時刻が知らされ、翌朝4時半にゴムボートが迎えに来ることが決まりました。
武本さんも驚かされたというこの手配のすばやさの背景には、陸で船団をサポートする多くのボランティアの存在がありました。
プロジェクトへの参加は船に乗ることだけではなかったのです。
翌朝、暗いうちにゴムボートで上陸した武本さんは、木陰に身を潜め、リゾートホテルから出てきたヨーロッパ人観光客に紛れて空港へ向かい、ギリシャを後にしました。
しかし、そのまま日本には帰らず、その後3日間ローマにとどまり、クルーたちに向けて、朝から晩まで操船の指示を送り続けたといいます。そして、船団が再びガザへ向けて出航する目処が立ったのを見届け、帰国の途につきました。
捕まった仲間たちの被害
武本さんが帰国した翌日、船団は再びガザを目指し出航しました。そして5月中旬、二度目の襲撃を受け、今度はすべての船が拿捕され、約430人もの仲間が拘束されました。
帰還した仲間たちの証言や、武本さんのもとに届いた情報によると、拘束された人々は、後ろ手に縛られたまま2日間、船で移送されたといいます。
政府の支援を受けて船団に参加していたインドネシアからのクルーが政府への報告のためにまとめたデータには、肋骨や頭部の負傷、性暴力の被害を含む多数の人権侵害が記録されていました。
武本さん自身には直接の暴力の被害はありませんでした。しかし、襲撃の夜の強烈な恐怖、仲間を案じる思いや怒りの感情などの影響が残り、帰国から2カ月がたっても深く眠ることが難しい状況が続いているといいます。

暴力はケガや痛みといった身体的な被害だけでなく、PTSD(心的外傷後ストレス障害)*など、脳や精神にも強く長い影響を残します。しかし、ガザを目指す船団の仲間たちは「パレスチナの人たちが受けている苦難とは比べものにならないほどましだ」と口にしていたといいます。
*PTSD(心的外傷後ストレス障害)とは 命の危険を感じるような出来事や暴力の体験、目撃、極端なストレス、衝撃の強い経験などの後に、意思とは無関係に記憶がよみがえる、神経が張りつめて眠れないなど、生活に支障をきたす症状が長く続く状態
ガザで起きていることと気候変動はつながっている
環境活動家である武本さんは、なぜガザ支援船団に参加したのでしょうか。
海路からガザを目指す取り組みには、武本さん以外にも、ティアゴ・アビラさん、グレタ・トゥーンベリさん、武本さんの一つ前の航海に参加した日本人の安村美香子さんと、数多くの環境活動家が参加しています。国際環境NGOであるグリーンピースもまた、技術支援を行いました。
「気候危機も、平和の危機も、ジェンダー問題も、すべてはつながっている」と武本さんは話します。そして、環境破壊や戦争、力による支配の源流には「資本主義の暴走」があると指摘します。

利益と成長を追求する行き過ぎた資本主義の仕組みが、環境破壊や気候変動を加速させ、対話や法的な合意の力を失わせています。
これは「遠い場所で起きているできごと」ではありません。日本は、現在に至るまで、イスラエルとの経済的な関係を続けている国の一つです。武本さんは「国際社会がイスラエルの不処罰を続けてきたことが今の事態を招いている」と話します。
また、日本では、パレスチナで起きていること、そしてGSFなどの海路からガザを目指す取り組みについても、あまり知られていないのが現状です。それでも武本さんは「ちゃんと知らなきゃ、という人が日本にもいる」と感じているといいます。
帰国した武本さんのもとには、GSF参加の体験について多くの取材があり、地方紙を含め16社ものメディアに記事が掲載されました。そして、これまで環境活動や気候変動の講演で全国をまわってきた武本さんに、現在GSFでの体験をテーマにした講演依頼が数多く届いています。
「知ることの先にあるのが連帯、それは希望になる」。武本さんは力を込めて話します。
武本さんからのバトンをどう繋ぐのか
武本さんはこれまでに、子どもから大人まで100名以上の環境活動家を育ててきました。
その中の一人だった藤沢市の小学生(当時小学4年生)は、世界で起きていることを知り、学校の給食で出された大好きなオレンジジュースのパックの裏に「イスラエル産」と書かれているのを見つけました。
「多くの子どもを殺している国のジュースを飲みたくない」
彼女は、担任の先生、給食室の職員さん、校長先生に相談しました。しかし、それでは解決しなかったため、次は4人の賛同者を集めて「イスラエル産のものが含まれる商品を買うことは虐殺を間接的に支援することになる」と、藤沢市長に宛てて陳情書を提出しました。
その結果、条例に基づいて市長と教育長からの返答を受け取り、その後、イスラエル産のオレンジジュースは給食に出ていないといいます。
武本さんが子どもたちに伝え続けてきたことを、彼女は自分で考えて証明しました。
「声をあげれば、変えられる」

武本さんは私たちに、平和も、環境も、すべてはつながっていて、戦争も環境破壊も、人が起こしたことは人が変えられるということを行動とともに教えてくれました。
専門家でなくても、船に乗れなくても、日本からでも、一人ひとりにできることがあります。起きていることを知り、「このままでいいわけがない」と考えた人が行動する仲間になります。
考えを同じくする人々や団体とつながり、変化の一部となることが重要です。この記事を読んでいるあなたが希望の始まりになるかもしれません。
※武本匡弘さんへの講演依頼はこちらからお願いします。
